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「通勤」・・・08/10/31(金)

SN3E0075.jpg 最近、地下鉄に乗り換えるまでバスで通っている。するとそこには少し違った風景が出現する。
日常というのは淡々としたもので、繰り返しが基本である。特に通勤というのは、どのお客も内向きの気分で電車に乗っている。大げさな身振りもないし、はずんだ会話もない。それぞれがそれぞれの目的に向かって座している。時折、私学に通学する子どもで、座ったままうつらうつらしている子どもを見かける。その姿がまるでサラリーマンのようなのでびっくりする。
 ブッダは次のような四つの真理を述べている。

  1. 「一切皆苦」(いっさいかいく)
  2. 「諸行無情」
  3. 「諸法無我」
  4. 「涅槃寂静」(ねはんじゃくじょう)

 人生は苦しみに満ちていて、全ては変化してゆく。欲望や執着をもつから苦が生じる。それを捨てれば迷いのない境地でいられる。というものらしい。ブッダは紀元前6世紀頃、こうした悟りを開いた。文明は進化するが人間はほとんど進化していない。

「松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』」・・・08/10/30(木)

image002-2.jpg アマゾンで注文していた松岡正剛さんの本が届いた。「17歳のための」と書いてあり、すでに半世紀を生きた僕ではあるが、おかまいなく、読んでみた。すごい面白い、読みやすい本である。
「編集工学」をコンセプトに、世界に向かう。そんな松岡の思想や方法が、実に平易にかいてあるのであった。2006年、発行(春秋社)で、10版を重ねているから、結構読まれている本だ。
人間は、さまざまな「情報」に取り囲まれていて、その情報を情報として受け取るには、それを区切り、意味づけること重要な作業となる。さらに、そうした情報を関係づけることで、新しい意味が生まれてくる。ぼくたちの文化も歴史も、こうした編集作業を通して、新たな意味を開示する。また、それぞれの文明・文化には、「母型」のようなものがあり、そうした一種の「コード」によって、文化(意味)が成立している・・・。
 学校という世界に埋没していると、なんだかせせこましい議論や技術のなかに追い込まれてしまう。けれども、もしかして、関係を組み直す方法やまなざしを入手することで、新しい意味を発見することができるかもしれない。すっかり、精神は、17歳にもどってしまった。

「CCAA寺子屋 子どもの作品を読む」・・・08/10/29(水)

image001-1.jpg 昨日はCCAAで「図工寺子屋子・どもの作品を読む」があり、講師で参加した。鈴石先生と二人で作品を読みとこうというもの。あいにく、どの学校も行事なのか、参加者は熱心な先生方10名ほどが来られた。
作品提供は、加藤真先生と黒沢先生。お二人とも作品をがさっともってきてお話をされた。お二人とも、たいへん熱心な先生で、すすんで「まな板のコイ」になってくれた。(えらい!)
 作品を読み解くといっても、何を読むのか。子どもの心理か。それとも題材の意味か。鈴石先生は、長年子どもの心理を読むことを行ってきたが、作品によっては、どうしても、題材の意味にむかってしまう。
 子どもの作品は、授業との相関関係の中で、営まれるから、むしろ個々の子どもの心理だけを抜き出すのは、 なかなかむずかしいと感じた。
 今度の図工寺子屋は、横内先生が講師で、テーマは「評価」。評価も「作品を読む」ことと関連するテーマだ。子どもの作品をどうみていくかは、大きな課題であることを自覚した。
 反省会では、加藤先生も黒沢先生もほっとして、おいしそうにお酒を飲んでいた。お疲れ様でした。

「横浜トリエンナーレに行こう」・・・08/10/28(火)

image003.png 日曜日は、横浜に行ってきた。時間がなかったので、3会場をざーっと回った。1・「新海ピア」、2・「赤煉瓦倉庫」、3・「日本郵船海岸通倉庫」である。
天気がよければもっとよかったが、歩くにはちょうどいい気温だったかも。日曜日だったので家族連れもたくさんいた。「現代美術」に多くのひとが触れるのは、いいことだと思う。日本の「ゲイジュツ」は、なんせ、家元制度が強固なので、そうでない、ARTが体験できるから。
 今回は、前回とちがって広い倉庫が、ブースに仕切られているのが印象的だった。「ホワイトキューブ」のなかのARTという感じがした。前回は、日常とARTが、境目なく溶解していく感じがしたが、今回は、ARTが、日常世界から、非日常的な世界に誘うような装置として機能している感じがした。
身体そのものを使ったものや音など身体感覚に訴えかけるものが多かった。映像の作品もかなりの量であった。個人的には、映像の表現は、時間を拘束されるのが難点かな。
また、ミケランジェロ・ピストレットなど、古くから活躍している作家も多く出品しており、60年、70年代から最近の作家まで連続してみることができる。
4の「三渓園」もみてみたかったが、次回に回そう。チケットは、まだ使えるそうなので。

「矢野智司先生とご一緒に西洋美術館でハンマースホイをみた」・・・08/10/27(月)

image007.jpg 土曜日は、柴崎裕先生のコーディネートで、京都大学の矢野智司先生とご一緒した。同伴者は、岡田研究局長、辻。西洋美術館の寺島洋子さんもご一緒いただけた。
折しも、9月17日の「ひつじ日和」でご紹介した『贈与と交換の教育学』(東京大学出版会)の表紙を飾っている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ」の展覧会(11月21日まで)が西洋美術館でおこなわれていたので鑑賞を兼ねてご一緒させていただいた。日本では本邦初公開のデンマークの画家。
 なんとも静かな絵で、後ろ向きの人物や部屋そのものがモチーフに描かれている。音のない世界・・・孤独さが画面全体に漂っている。こうした絵を描き続けた画家の生活とはどんなものなのか想像できない。身近な日常にある「部屋」や「妻」、「磁器」など、限定された人や事物を描いているのだが、日常の肉感的な感覚が消え失せ、非日常的な世界が顕在化してくるのであった。画面を注視すると筆のタッチや色彩がたいへん抑制され、画面全体が均質になるように工夫されている。ひとも床も窓もすべてが等価に描かれているのであった。世界を均質にながめるまなざしとはどういうまなざしなのだろう。
image003.jpg 対象の存在がいきいきと把握され描き出されると、その対象に対する愛着や固有の存在感がみえてくるが、ここでは、均質な画面が提示され、それを見続けることによって、やがて、「みること自体」がみえてくるのであった。
 矢野智司先生の『贈与と交換の教育学』の表紙を飾るハンマースホイの絵も開かれた白いドアの室内風景で、奥の方にわずかに見える窓から光が差し込んでいる様子が描かれたものなのだが、そこには静寂とある種の恐怖感のようなものがある。
 ハンマースホイの絵も矢野先生の本もシステムの中の出来事に注視するのではなく、システムそのものを顕在化させるようなまなざしが共通しているように思えた。
 展覧会をみてから、近くのレストランで昼食をご一緒した。柴崎先生や寺島さんの楽しい話を交えながら、美術教育や美術館教育という成果のすぐにはみえない活動をいかに価値づけるかということや「近代化」なども話題になった。
image009.jpg 矢野先生は、たいへんおだやかな方で、ものごとを深く考える研究者であった。初対面のがさつな現場の図工教師にも親切に対応していただきありがたかった。
 午後は、ぼくは失礼したが、柴崎、岡田ペアは、矢野先生にくっついて、慶応大学の教育哲学学会に出かけて行った。寺島さんも、都図研の保護者?のように、都図研がそそうのないように、ご同伴していただきありがたかった。
 今後、矢野先生のお力を図工教育の分野でもお借りしながら、図工教育探っていく場を提案できればと思う。(きっと柴崎先生の頭の中ではいろいろなプランが渦巻いているに違いない。)

「『小学校学習指導要領解説図画工作編』を読む4~知識基盤社会~」・・・08/10/26(日)

 もともと、「知識社会」という言葉は、ピーター・F・ドラッカー(1909~2005。オーストリア生まれの経営学者・社会学者)が、50年代後半から60年代に言いはじめた言葉である。
「経営学」や「マネージメント」について、ぼくらは、チョーうといが、ドラッカーは、この分野の開拓者である。その著書は、実業系の出版社から多く出されていて、日本での売り上げはダイヤモンド社刊行分だけで累計400万部余り、かなりの売れ筋である。(ビジネスマンはみんな読んでいるのだろう)ここでドラッカーの著作を読んでいる時間がないので、中野明というひとが描いたドラッカーの概説を引用して、「知識社会」についてみてみることにする。以下のように述べている。

3. ドラッカーが指摘した知識社会の姿
 ドラッカーが「知識」に注目するようになったのは、遅くとも1950年代末のことだ。57年に出版された『変貌する産業社会』では、早くも「知識労働者」というキーワードを掲げ、これが社会に大きな影響を与え始めていると指摘している。さらに、前出『断絶の時代』では、知識労働者に関する議論をさらに深め、知識社会について論じるに至った。この後、知識社会は、ドラッカーの様々な著作で語り継がれ、最晩年に発表された論文集『ネクスト・ソサエティ』(2002年)でも主要テーマの一つになっている。
 組織を動かす原動力は、よく「ヒト・モノ・カネ」といわれる。中でも資本は大組織を動かす原動力となってきた。すなわち、資本(カネ)で生産手段(モノ)を所有し、労働力(ヒト)を投入して製品やサービスを生み出すという構図だ。

一方、資本主義社会における最大の資源であった資本と労働力に、知識が取って代わる社会、これがドラッカーの指摘する知識社会だ。とはいえ、ここで言う知識とは、単なる物知りを指すのではない。社会や組織、個人のニーズを満足させる価値を創造し得る知識のことを指す。したがって、「『既存』の知識をいかに有効に適用するかを知るための知識*4」、すなわち知識とその知識を価値に転換させる知識、いわば「知識の知識への応用」の重要性が急速に高まる社会、これがドラッカーの指摘する知識社会と理解すべきだ。
 ところで、最大の資源が資本から知識に置き換わることが、それほど大事件なのかと思う方も多いはずだ。しかし、この一事から世界観や価値観、社会の構造が劇的に変化する。
 まず理解すべきは、知識は生産手段だということだ。そして、その生産手段を所有するのは、知識を所有する労働者本人だ。資本主義社会では資本家が生産手段を所有し、労働力を商品として買ってきた。一方、知識労働者は生産手段である知識を所有するわけだから、知識社会の到来により、資本主義はその形態を変化せざるを得なくなる。
 この点に関してドラッカーは、先に掲げた『変貌する産業社会』の中で次のように述べている。「この集団(筆者注:知識労働者)の出現は新しい経済学の誕生をうながし、組織の知識と専門技能知識が真の『生産のための要素』となり、従来、経済学で生産の三要素とされていた『土地、労働、資本』は知識を有効に働かせうる限定条件にすぎないものとなりつつある*5」。ドラッカーのこの指摘は1957年のことだから、その慧眼に改めて驚かされてしまう。
 それはさておき、知識は誰にでも修得できる。年齢も性別も国籍も関係ない。その結果、知識社会は、今まで以上に競争の激しい社会、しかもグローバル規模での競争が激化する社会になると予想されよう。さらに、知識には持ち運びが自由という特徴がある。したがって、組織は必要な知識をいかに発掘するのかと同様に、その知識をいかにつなぎ止めるかが、今後のマネジメントの重要課題になる。
 加えて、組織は本当に必要な知識の獲得のみに集中し、それ以外は組織の外にある資源を活用する傾向が強くなる。アウトソーシングの役割が高まっているのがその証拠だ。詳細は省くが、リストラクチュアリング、リエンジニアリング、コア・コンピタンスというビジネス理論が相次いで誕生したのも、知識社会の浸透を物語る現象といえよう。

さらに、知識を持つ者の重要性が高まることは、そうした人に対して多くの報酬が支払われることを意味する。逆に持たざる者は低い報酬に甘んじなければならない。ドラッカー自身は格差社会という語を用いていないが、やがてやって来る本格的知識社会では、知識を持つ者と持たざる者の間に、大きな格差が生まれることは予想に難くない。(傍線:辻)
「【ドラッカーの未来社会論】知識社会の到来、知識社会を生き抜く術〜現代社会の断絶に未来社会をかいま見る〜」(中野明著、初出:日本経営協会『オムニ・マネジメント』2007年10月号

http://www.pcatwork.com/drucker/d003/d003.html


image002.jpg「知識社会」とは、知識そのものが資源であり、情報を活用し、応用することを重視した社会であり、知識獲得の流動性によって、激しい「競争」が生じ、「格差」の生じる社会である。まさに、こうした指摘は現代社会の進行しつつある状態を示している。
 しかしながら、「知識が誰にでも習得」できるかと言えば、むしろ、「格差社会」の到来によって、「経済資本」や「文化資本」の取得に関しては、それこそ大きな「格差」を生みつつあるのが現状であると思う。
 「知識社会」は、一方で、「福祉」や「共生」といった思想で補填していかないと殺伐とした社会を形成してしまうことは、間違いない。

「研究局分科会研究授業検討会」・・・08/10/25(土)

 昨日は、渋谷区の「恵比寿」と「代官山」に挟まれたハイソな地域にある長谷戸小学校へ行った。西多摩大会の研究授業の分科会に参加した。加藤貴子先生、杉山先生、山田先生、岡田研究局長が参加した。ぼくもいつも事務関係の会合がおおいので参加させていただいた。
模擬授業は、長谷戸小の管谷千紘先生が行った。若くて元気な先生である。不織布(ふしょくふ)を使った5年生の「バック」をつくる題材。ていねいな指導で一生懸命活動していた。
 授業の後、検討会で、題材を練った。ねらいは、布の素材感を生かす。5年生としては、どうか。布のどんな特性に着目したいのか。イメージはどんなものをねらっているか。身体感覚も味わわせたい。「布」自体を扱う題材は結構むずかしいね・・・・などなど、意見を出し合った。けれども、なかなかすきっとしない。でも、これがすごっく大事である。題材をみんなで検討する経験は貴重である。自分がそこに出るし、それぞれの題材観などもみえてくる。「共同研究」は、おっくうでたいへんだが一番研究が深まるものである。
image003.jpgimage001.jpg これは意外におこなわれていない。研究授業といっても、個人にお任せがほとんどで、これまで「図工専科」は、個々人の教師の考え方に侵入を拒むような体質がずうっとあったような気がする。独立心というと聞こえはよいが、「裸の王様」である場合が多い。
 授業は、もちろん授業者の思いを基盤とするが、それらは、他者の意識にさらされ、比較検討するなかで、明快になる。こうした検討の経験を積み重ねる中で、研究が深まっていく。(因みにフィンランドでは、共同学習が重視されているようである。「学習」とは、自他の相関関係のなかで深まっていくからだ。)
 大会もあと一か月に迫ってきた。今日の研究が、どのような授業になっていくか楽しみである。  
 帰りはちょろっと反省会に行った。「えびす」は、おしゃれなスポットで、あんまりこないから、この辺でよく飲んでいる杉山、加藤両先生の先導でおしゃれな店に入った。暗いので写真がうまく写らなかった。PCで修正するとウォーホールの作品みたいになったが、右側が、山田先生、左がぼく。わかるかな?

「『小学校学習指導要領解説図画工作編』を読む3〜知識基盤社会〜」・・・08/10/24(金)

 21世紀の「知識基盤社会」に対応した教育ということが強く言われている。ところで「知識基盤社会」とは何だろう。ここで、改訂に関して「科学」や「経済」が大きな条件として捉えられていることは、間違いない。というか、これまでも経済や科学は、教育の指標とされてきた。
 「平成12年の科学技術白書」(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa200001/hpaa200001_2_022.html)では、「知識基盤社会」に関連して、次のようなことがすでに述べられている。

前節で述べたように,21世紀の社会は,科学技術を中心とする新たな知識の旺盛な開発と社会への適用を求めている。さらに,例えば,ライフサイエンスの分野では,ヒトゲノム解析が国際的な協力の下で進められている一方で,ベンチャー企業等でも医薬品産業等での利益の独占を目指して,同様の解析を独自に進め遺伝子情報の特許を取得すべく,世界がしのぎを削る状況が展開され始めている。このことに限らず,21世紀の経済社会においては,知識と情報をいち早く獲得した者が生き残るといった競争が厳しさを増していくものと考えられる。
 また,科学技術と社会は今後ますます接近し,一般国民は自らのものとして科学技術を手にし,その内容に関する十分な知識を持って,科学技術活動の意思決定に参画していくことが求められる。このように,産業や国民の生活など社会のあらゆる活動が知識を基盤として急速に展開されるようになり,21世紀,社会は『知識基盤社会』へ移行していくことになると考えられる。
このような社会の変化に対応していくには,何よりも新たに知識を生み出すと同時に,既存の知識も含めて整理・統合し,如何に効果的に社会の各局面で活用していくのかが大きな鍵となるであろう。このためにはまず,社会に十分な知識が蓄えられることが重要である。(第1部 21世紀を迎えるに当たって 第3章 21世紀における科学技術と社会の関係 第2節 知識基盤社会への対応 1. 知識基盤社会への移行)

 さらに、「知識基盤社会」への移行について次のように述べられている。

 (1) 我が国における知識の創造と活用及び社会への浸透の現状
 明治以来,我が国は欧米諸国の科学技術に関する知識を活用し,発展してきた。その結果,欧米諸国と肩を並べるようになった。今後知識基盤社会へと移行していく中で我が国が引き続き,最先進国の一国としての地位を確保していくために,我が国独自の強力な知識の開発がなされなければならない。
{1}「知」の創造と活用
 現在,我が国には21世紀社会の実現(例えば,循環型社会)のために必要とされる研究成果(知識)の蓄積が十分ではない。第2部において詳しく触れるが,論文数,特許出願数等から見て,我が国は世界最高水準の高い質の知識の創出,革新的な技術とその応用といった点で特に米国との格差が依然大きい。
また,特に米国においては,ベンチャー企業が革新的な技術を実用化し,経済の活性化に役割を果たしているという見方がされている。さらに,今後科学技術はますます急速に変化,進展すると予想されることから,機動性のあるベンチャー企業の役割は増加していくものと考えられる。我が国においても,革新的技術の活用を進めるためにベンチャーの育成が急務である。
これらのことをはじめとして,将来の社会の有り様を見据え,先見的にブレークスルーとなる革新的知識を創出し,蓄積するとともに,それを社会において活用していくための取組を強化していくことが必要である。そのための基礎研究振興の必要性については,特に別項において詳述する。
{2}科学技術知識の社会への浸透
 また,今後急速に発展し,複雑化する科学技術について,引き続き国民全体が必要で正しい知識を持てるような土壌が社会にできているのかという懸念がある。例えば,既に原子力エネルギー問題のように,資源の乏しい我が国の現状を踏まえたエネルギー政策という観点と,原子力施設の事故の可能性を踏まえた安全面という観点から,適切に評価するだけの知識が社会全体に十分行きわたっているかは疑問である。
国民が科学技術に関する知識を得て適切な判断能力を身につける最大の機会は,教育により与えられる。子供の理数科離れが叫ばれるようになって久しいが,その状況は未だ十分に改善されていない。また,学校教育の教育課程を修了した大人にとって,引き続き広く科学技術に関する情報を得,絶えず発展する科学技術についての知識を吸収していく機会があることが大切である。
知識基盤社会においては,科学技術に関係する職を持つ持たないに関わらず,広く国民が,自然の成り立ちや生命の営み等を客観的に捉え,そこに潜む原理を解き明かすというような科学について学び,理解するという態度を持つことが望まれる。
(2) 知識の統合
 現在,学問分野は高度に専門化・細分化している状況にあり,前章で述べたように,それぞれの成果が問題の本質を突き詰め,社会発展に大きく貢献してきている。研究者は,客観性の高い説得力のある結論を得るために,自らの研究範囲を限定し,その中でできるだけ単純化した系を選んで研究を進める傾向が強い。そのため,曖昧なもの,数量化しづらいものは,取り残されてきた。
しかし,最近では,地球環境問題のように各々の科学技術分野の研究を別々に進めていては調和のとれた解決策を見出し得ないような課題や,エネルギー問題のように成果が社会に脅威をも与える可能性があり,研究を多面的な視点から俯瞰しつつ進めるべき課題が顕在化している。
例えば,地球温暖化問題に対しては,従来の学問分野でいうと,地球科学,生物,化学,数学,エネルギー工学,経済学,倫理学,政治学等といった人文・社会・自然科学にわたる多数の学問の参加が不可欠とされる。しかも,各々の学問的な結論は,相互に関係し,時には対立する関係におかれることから,それらを総合し,調整することによって初めて答えを得ることができるものである。
このように,現下の課題の解決を目指すための新たな知識体系の構築のために,異なる分野,さらには人文・社会科学を含め,20世紀までに蓄積した膨大な知識や今後新たに生み出される知識を整理・統合して,再構築していくことが必要である。そのためには,従来の所属機関の中だけでの研究にとどまらず,広く機関間の垣根を取り払った研究体制,さらには教育体制の変革が必要であろう。
研究者に対するアンケート調査では,競争的研究資金による研究で,他の研究機関と共同で行う研究体制を望む者が36%となっており,このことは異なる考え方,異なる分野の知見などを取り入れながら,全く新しい知見を組み上げる知識統合型の研究の必要性が生じている現状が研究者側からも示されているものと考えられる。(第1部 21世紀を迎えるに当たって 第3章  21世紀における科学技術と社会の関係 第2節  知識基盤社会への対応 1. 知識基盤社会への移行)

 ぼくは、こうした文言をみると「教育を過信してはならない」とつい思ってしまう。また、子どもは、「工業製品のように生産することはできない」とも思ってしまう。

「条件反射」・・・08/10/23(木)

081023_0621~02.jpg 早朝、カメの金魚にえさをあげる。はじめのうちはすぐ隠れたが、最近は、手を出すと金魚が浮かび上がってくる。こういうのを条件反射というのだろう。パブロフはえらい。金魚はなんとも思っていないが、こっちは、愛らしい感情がわくから不思議である。

「『小学校学習指導要領解説図画工作編』を読む2〜第1章総説〜」・・・08/10/22(水)

a.pdf 「第1章総説」は、「1改訂の経緯」、「2図画工作科改訂の基本方針」、「3図画工作科改訂の要点」の三つの視点から記述されている。
 ここでは、「1改訂の経緯」を図式化してみた。「時代背景」、「教育課題」、「法的な規定」、「学習指導要領改善の方向性」が、具体的に記述され、このことを踏まえ、「学習指導要領」が編纂され、公示されたことが述べられている。
さらに、こうした総論から、各論(各教科)へと向かう筋道が「2図画工作科改訂の基本方針」、「3図画工作科改訂の要点」で述べられている。
 1「知識基盤社会」と記述されるような社会観や時代観と2「学力」がどのように規定され、どのように教育課程の中に位置づけられようとしているかをみていくと,深まった考察ができると思う。

「『小学校学習指導要領解説図画工作編』を読む1」・・・08/10/21(火)

 皆さんは、「小学校学習指導要領解説図画工作編」(以降「解説」と記述)をすでに読んだだろうか。ぼくは、今、ちょっとずつ読み始めている。が、なかなか進まない。そこで、この場を借りて読んだことを記述してみようかと考えている。課題は、「わかりやすく」。そこで「図式化」しながら、コメントを入れ、時々、アップしてみたいと思う。

はしがき図式化.pdf まず、「まえがき」。「まえがき」はどんな書物でも重要だ。その本の概要がシンプルに記述されている。「解説」でも、新学習指導要領の「成立過程」と「骨子」が、明快に記載されている。
 まず、「中央教育審議会」の審議の過程で「改正教育基本法」が成立し、答申に組み込まれている。これは、今回の大きな特徴である。これは、59年ぶりの改正だから、戦後教育、歴史の大きな転換がここにある。
 それから、次の3つの基本的なねらいも重要だ。これをもとに後の論述が展開していく。

  1. 「生きる力」の育成
  2. 「知識・技能の習得」と「思考力・判断力・表現力等」の育成
  3. 豊かな心(道徳)と健やかな体(体育)の育成である。

 そして「学習指導要領」をさらに細かく説明、解説するものとして、その名の通り「小学校学習指導要領解説図画工作編」がある。昔は「指導書」と言ったが、こうした言葉にもこれまでの背景がある。
 「解説」もただ文字をよむのではなくコンテクスト(背景、文脈)を頭に入れて読むとよい。

「都図研の活動も後半戦へ突入」・・・08/10/20(月)

 本間理事長から、1月の「60周年記念式典の概要」がメールできた。いよいよ都図研の活動も後半戦に突入したことを実感する。
 11月には、「関ブロ群馬大会」、谷川プロジュエクト(CCAA)、約50日後には、「都図研西多摩大会」(瑞穂第一小学校)がある。12月には「役員選挙」、1月には「創立60周年記念式典」(新宿・落合第六小学校)、都展(都美館)、そして、3月の「総会」へと行事が続いていく。
 展覧会や学芸会など、それぞれの学校の公務も忙しいなか、皆さんで協力して後半戦へ挑みたいと思う。

「誇り高く生きよう!と清志郎が唄ってる」・・・08/10/19(日)

image005.jpgわけもなく 涙ぐむのは
君のこと 想ってるから
悲しい涙じゃない あったかい気持ち

この胸にあふれるのは 
君に寄せる 熱い想い
どんなに暗い夜も のり超えて行ける

口ぐせような ありふれたラブ・ソング
今夜も君に歌うよ 本当の気持ちだから
風に消されそうな ちっぽけなラブ・ソング
君が受け止めてくれる 強く抱きしめておくれ

勇気が ほら わいてくるよ
朽ち果てそうになった心に
誇り高く生きよう 喜びにあふれ

image006.jpg口ぐせのような ありふれたラブ・ソング
今夜も君に歌うよ 本当の気持ちだから
風に消されそうな ちっぽけなラブ・ソング
君が受け止めてくれる 強く抱きしめておくれ

わけもなく 涙ぐむのは
君のこと 想ってるから
誇り高く生きよう 喜びにあふれ

Yeah 誇り高く生きよう 君のために
Yeah 誇り高く生きよう 君のために

と、2007年に日本武道館で完全復活した清志郎は唄ってる。そして、「ここにもどってこれてうれしい」と言っている。ぼくもうれしい。清志郎は、ぼくが青年だった1970年の頃から、ずっと唄いつづけている。
今日、遅ればせながら、高円寺でCDを買って聞いたぼくは、少しうろたえながらも、どきどきしているのであった。なかなか他者をどきどきさせることなどできないものだ。世の中、嘘が多いからね。
咽頭癌を克服した彼のコンサートであるが、以後、転位が見つかったらしく、その後の情報はわからないが、ぜひがんばってほしいものだ。

清志郎の公式サイトは、
http://www.kiyoshiro.co.jp/
尚、ウィキペディアには、清志郎について次のように記述されている。一部、履歴を取り出してみる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8C%E9%87%8E%E6%B8%85%E5%BF%97%E9%83%8E

略歴
・1951年 誕生
・1966年 中学の同級生、小林和生、破廉ケンチと「ザ・クローバー」を結成。
・1967年 高校進学によりザ・クローバーを解散。小林和生と武田清一(後に 日暮しでデビュー)とで「ザ・リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」(バンドの名前は「クローバーの残党」を英語名)を結成し、初めてギャラを得る仕事をするも、数ヵ月と短い活動期間で解散状態に。
・1968年 破廉ケンチがバンドに戻り「RCサクセション」(バンド名前は「クローバーの残党の続き」を英語名)として再スタート。
・1969年 RCとしてテレビ番組「ヤング720」のオーディションに合格。続いて東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションで3位に。この模様を収録したオムニバス盤が初めての公式音源となる。収録曲は「泥だらけの海」。
・1970年 RCとして「宝くじは買わない」で東芝音工(現東芝EMI)よりシングルデビュー。
・1971年 渋谷のライブハウス・青い森で当時フォークデュオ古井戸として活動していた仲井戸麗市と出会う。
・1972年 共作した「帰れない二人」「待ちぼうけ」の2曲が収録された井上陽水のアルバム『氷の世界』がミリオンセラーとなる。
・1978年 RCに仲井戸麗市らがサポートメンバーとして参加し、フォーク形態からロック/R&B形態へとバージョンアップされる(当時は、その衝撃の大きさから「パンク・ロック」と評された)。
・1979年 ジョニー・ルイス&チャーの前座として初めて日本武道館のステージに立つ。
・1981年 RCとして初の日本武道館単独公演。
・1982年 坂本龍一(当時イエロー・マジック・オーケストラ)と組んで発表したシングル「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂82春のキャンペーンソングとしてヒット。PVでは、どぎつい化粧をして男同士でキスをするなど過激なパフォーマンスを展開、時代を席巻する。 同年、サム・ムーア、チャック・ベリーらとのジョイントライブを開催(アルバム『THE DAY OF R&B』収録)。
・1982年 肝臓を壊し、医者から「一生治らない」と宣告される。
・1983年 藁にもすがる思いで頼った東洋医学による治療を1年間続けた結果、肝臓が完治。「一生治らない」と告げた医者からも「奇跡だ」と驚かれる。
・1985年 RCとして独立事務所「うむ」を設立。
・1987年 初のソロアルバム『RAZOR SHARP』をリリース。
・1988年 東芝EMIより発売予定だったRCのアルバム『COVERS(カバーズ)』が、収録曲の歌詞の問題で発売中止となる。
・1989年 ザ・タイマーズの1stアルバム『THE TIMERS』をリリース。カップラーメンのCMに使われたシングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」がヒット。
・1991年 RC無期限活動休止。個人事務所「ベイビィズ」設立。
・1993年 プライベートスタジオ「ロックンロール研究所」設立。
・1995年 映画『119』の音楽担当として日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。インディーズレーベルSWIM RECORDS設立。
・1998年 フジロックフェスティバル初出演。初のフジロックの成功とともに、忌野はフジロックの顔となる。
・2000年 30周年記念イベント「RESPECT!」を日本武道館にて開催。
・2002年 せがわきりとの共著で絵本『ブーアの森』(TOKYO FM出版)発表。忌野の名義で同名のマキシ・シングルがavex ioからリリース。
・2006年7月 自身のホームページにて喉頭癌であることを発表。治療のため入院生活に入る。
・2007年12月8日 日本武道館での『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に出演。ファンに完全復活を印象づける。
・2008年2月10日 日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催。全24曲を歌いきり、武道館を埋め尽くした13,000人のファンを心酔させる。後日、大阪フェスティバルホール、京都会館第一ホールにおいてそれぞれ追加公演を行う。
・2008年7月14日 癌の左腸骨への転移が判明したことを公式HPで発表。夏の野外フェスティバル、ライブはすべてキャンセル、再び治療に専念する。

「校内展覧会」・・・08/10/18(土)

image002.jpg 庖刀由利子先生の巣鴨小学校の校内展覧会に行こうと思い、「大塚駅」で降りると、ガムテープで書いてあった。あれ、これは依然、日暮里駅でモヒカンの山田先生に教えてもらった「佐藤修悦」さんの「修悦体」ではないか?修悦体というのは、佐藤さんが、駅の工事の際にガムテープで、案内表示を書いたもの。なかなか目立ってわかりやすい表示で、近づくとそれがガムテープなので、びっくりする。最近は、TVやイベントに出たりして、かなり有名らしい。
image004.jpg さて、大塚駅の横の路地を抜け、学校についた。庖刀先生の展覧会をみせていただくのは、これで3回目だったかな。だんだんとご自分の指導コンセプトが絞られてきて渾身の展覧会であった。彼女は、昨年までは、副会長、今年度は、広報局長をおこなっていて、しかも、主幹で学校運営には、かかせない超多忙なひとで、いつでも一生懸命な、パワー全開で働くひとである。
 大きな画面や材料を十分に使いながら、実にのびのびとした活動が展開できている。
 ぼくが、みていると、鑑賞していた母子の会話が聞こえた。「ほらね、来てよかったでしょ」「そうだね」。
 図工専科としては、こういう言葉が最高のプレゼントである。担任、保護者、地域の皆さんにこうした機会を通じて、図工のよさをアピールしている庖刀先生の展覧会であった。
 いよいよ、校内展覧会シーズンだ。図工の先生方、がんばってください。

「学校の展示室あんど鈴石弘之先生、上海へ」・・・08/10/17(金)

image002-1.jpg 学校の安全点検で、地下室の開かずの部屋に入るとそこは「ふるさと歴史館」といって、古い歴史をたどる展示室であった。となりにも展示資料室があり、ぼくが勤務する学校の歴史が丹念に展示してある。
 明治8年創立で、本年で133年。学校には、学校の歴史というものがある、と改めて気づいた。
 また、いまでこそ日本の社会は、「学校化した社会」(イヴァン・イリイチ。学校的な価値観が社会に浸透してしまった世界)などと言われ、学校というものが社会の中で位置付けられているが、当初、人々は、さして学校の必要性などほとんど感じていなかったらしく、むしろ焼き打ちなどの、反対運動もあったぐらいだ。それが、徐々に近代の国民国家の形成とともに、公教育として位置づいていったのであった。それぞれの学校の歴史をひも解くとそこには、日本の近代の道筋やそこに生じた意味や価値がみえてくるかもしれない。
 皆さんも例えば周年行事ともなれば、自分の勤務する学校の歴史なども気にとまるが、日頃は、ほとんど意識しないで過ごしているであろう。ちょろっと地面を掘り下げるとおもしろいものが見えるかも?
 それから「日中児童画交流展」という行事が計画されているが、そろそろ上海でおこなわれる。明日から、鈴石弘之前都図研会長(現CCAA代表)は、上海に飛ぶ。現地では展覧会と講演会(「日本の図画工作の歴史」)をおこなってくるそうである。
今回の上海もそうだが、ミャンマーに行って図工の指導をしたり、日韓交流展を支援して、韓国にいったり、来年にはメキシコにもいくらしく、退職してもなおというより、ますます意気盛で、むしろその活動は、国際化しつつある。すごいバイタリィティだ。

「文京区図工部、研究授業とおでん」・・・08/10/16(木)

image003.png 千駄木小学校で、文京区の図工部会の研究授業があった。授業者、高波亜矢子先生。講師、川合克彦先生(川崎市はるひ野小・中学校)。
 千駄木小というと、オリンピックで金メダルをとった水泳の北島選手の母校ということで有名である。題材名は「マスキングコロコロ」。黒いつや紙に、マスキングをして、ローラーやスタンピングを施す造形活動。39名もいる4年生の授業だが、子どもたちは穏やかに熱心に授業をおこなっていた。
図工部では、3つの分科会に分かれ、年に3本の研究授業をおこなっている。この日は、一本目の研究授業。昨年の関ブロ・都図研大会の遺産を継承し、研究を進めている。最近、思うのだが、子どもの自発的な活動と教師の題材の仕掛けの関係は難しいと。この関係をどうとらえているかで主従が逆転する。授業とはこの均衡のうえで形成される。
 東京の研究の単位は、市区町村の単位、ブロックの単位、都図研の本部が組織する部局があるが、日常的な図工の研究は、市区町村のなかでの研究が重要であるし、一番身近な場である。
文京区は、昨年の榎本部長から、現在、大道部長に引き継がれ、和気あいあいとした図工部の雰囲気のなかで、活動している。
こうした地域の研究がもとになって、東京都の研究が保持されているが、最近、市区町村のなかには、研究会を設置しない行政もでてきているので、一層都図研のような研究活動が重要になってきている。
図工専科は、各学校でひとりしかいない。自分を相対化してみる機会がないと指導の向上もあり得ないと考える。こうした場にぜひ参加して知見を広げること大切であろう。
 「反省会」は、大道先生の先導で、「おでん屋」に行った。地元の人しか知らないような店なのだが、ぼくには、今年度はじめての「おでん」であった。おでんを囲んで、反省会というのもなかなかいい感じである。

「都図研西多摩大会、瑞穂第一小学校、会場校教職員とご挨拶」・・・08/10/15(水)

image003-3.jpg 瑞穂町立瑞穂第一小学校で、大会実行委員及び授業者と猿田校長先生をはじめとする教職員の皆さんと正式に、ご対面し、大会のご協力御礼とお願いの挨拶をした。その後、授業者は担任の先生方と打ち合わせ、また、各局は、それぞれの仕事おこなった。
 40名くらいの参加者がおり、これだと昨年の「都図研中央大会」より人数が多いではないか。中央大会は、関東甲信越静地区の大会も兼ねていたのだし、さらに、PTAの皆様の協力もあるので、十分、まかなえると予想できる。
大会は、派手にやるというイメージがあるが、新奇さや派手さの時代ではない。いかに、子どもにとって、有意義な図工ができたかどうかが問題である。それぞれの地区の特色があるので、できうる範囲で実施できればよいのである。
 いよいよ西多摩大会の運営も佳境に入ってきたが、都図研本部と連携し、協力して運営していきたいと思う。
 今日は、授業が終わって12時半に学校を飛び出たが、乗り継ぎが悪く、2時10分に「拝島」についた。33分が八高線線発で、2時50分に間に合わないので、拝島駅から、TAXに飛び乗って2時35分に学校に到着した。セーフ。
 大会に行く際には、計画的に路線経路を調べていくと、時間のロスがなくいけるので、参加の皆さんは、ネットやナビで調べて行動するとよいかな。
 西多摩ブロックの皆さんの地道な努力で、大会を成功させたい。

「図工だいすき子ども美術展搬出AND谷川俊太郎先生のワークショップは非公開です」・・・08/10/14(火)

image006.png 青山の「こどもの城」で開催されていた「図工だいすき子ども美術展〜秋展〜」が終了し、17時30分より搬出作業があった。三連休の最後の休日だが、皆さん夕方から来館し、作業をおこなった。
普通なら、出勤の前日は、子どもならずとも、大人も気が重くなるところだが、元気に搬出作業にとりかかった。こうしたところは、さすがプロで、てきぱきしている。秋展は、若者が中心だが、さらに、精進して楽しい図工をそれぞれの学校で展開してほしいと思うし、この意気ごみなら図工の未来は明るい。
また、有福さんをはじめ、こどもの城のスタッフの皆さんにもいつもご協力をいただいて、この展覧会はおこなわれている。社会教育、学校教育の図工にかかわるものの共同で、世間に図工のよさ、楽しさを今後も発信していきたい。
尚、確か、近日発売の「美術手帖」にはこの展覧会のことが掲載されるはずである。ご覧いただきたい。
 また、11月に開催される「谷川俊太郎ワークショップ」は、「非公開」ですので、ご了解ください。

「神田神保町散歩」・・・08/10/13(月)

 昨日は、オフにした。月曜日の「図工だいすき子ども美術展」の搬出には、出かけようと思う。
 休みと言っても、朝は、4時頃に起床する。いくつかの仕事を行う。まず、「西多摩大会最終案内」の校正。校正事項をFAXで有馬先生へ送付。「谷川プロジェクト」を高橋先生に返信。「教育課程検討委員会」の原稿を平田先生に送信。T出版社の原稿を校正し、郵送。Hさんの編集報告に返信。韓国の青年、田俊培さんに返信。彼は韓国に帰って自分の事業にまい進しているらしい。都図研役員に連絡送信、それから、玉置先生から送付してもらった資料のダウンロードを開こうかと思ったが、「デコードできていません」の表示がでる。やはりうまくいかない。アマゾンに本を発注。
image002.jpg そして、「ひつじ日和」を書いた。(毎日書くが、アップするのは、菅原先生である。彼はたいへんなのである。が、土曜、日曜、月曜と彼はおでかけなので、彼のPCには、日記や連絡がどんどんたまっていっているのにちがいない。休暇の「至福」の後の「地獄」がまっているのであった。)(笑)
 そうこうしているうちに、午前中はあっという間に過ぎる。PCは、目を使うので結構疲れて、昼寝をしてしまう。
 午後になって「散歩」にでかけた。久しぶりに神保町に行った。「精邨(せいそん)」という新たに発見した蕎麦屋で遅い昼飯。前田青邨のような名前だ。
 東京の街はしばらくいかないとどんどん姿を変える。神保町は、再開発で、どんどん姿を変える。ここの蕎麦は、石臼挽きで腰が強い。麺に腰があって、かなりうまい。それに値段が高くないのがうれしい。ほんと蕎麦は、味も値段も店によってまちまちである。うまくて、手ごろな値段というのがぼくのような庶民にはいい。
image004.jpg まず、「東京堂書店」というところにいつも行く。ここは新刊本の店。書店では、膨大な本の森を散歩する気分で歩く。買うには、アマゾンが確実だ。(そう言えば『17歳のための世界と日本の見方?セイゴオ先生の人間文化講義』松岡正剛著と"『PHOTOGRAPH』高松次郎著、を今朝、発注した。いつ、つくだろう。セイゴオ先生は、現在『世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』(春秋社)をナナメに読んでいる。ぼくのような歴史に疎(うと)い者には、現在の世界の状態がよく見渡せる本である。疎いからには、17歳にもどって注文した。それから、すでに亡くなった現代美術家の高松次郎は、「ものの見方」を美術というメディアを通して青年のぼくに教えてくれた人と最近思い始めている。あらためて見たい気分で買った。)
 しばし、散策するうちにまたしても衝動買い。『世界文明一万年の歴史』(マイケル・クック著、千葉喜久枝訳)だ。立ち見の私見では「なぜ、人類はこんなになっちまったんだ」というのをひも解くのが本書のテーマ。
実証主義的な歴史が、個々の史料を実証的に分析、証明し、事実を提示していくのに比べ、テーマにそって、世界史全体から、ある視点にそって、関連事項を比較検討、分析し提示していく類のもので、専門家からみると、大ざるで、信ぴょう性に欠けるかもしれないが、何よりも一冊で、世界史を見渡せる気分にさせるのがいいところであろう。
 類書にウィリアム・H・マクニールの『世界史』(中央公論社)があるが、彼は「いついかなる時代にあっても、世界の諸文明間の均衡は、人間が他にぬきんでて魅力的で強力な文明を作り上げるのに成功したとき、その文明の中心から発する力によって撹乱される傾向にある」「時代が変わるにつれて、そのような世界に対する撹乱の焦点は変動した。したがって、世界史の各時代を見るには、まずそうした撹乱が起こった中心、またはいくつかの中心について研究し、ついで世界の他の民族が、文化活動の第一次中心に起こった革新について(しばし二番せんじ、三番せんじで)学び取り経験したものに、どう反応ないしは反発したのかを考察すればよいということになる」と述べ、その基本的な考え方や方法について述べている。
 図工の教育も、例えば、近代史のなかで、セイゴウ先生いうところの「タテ・ヨコ・ナナメ」にみていくところに、現在おこなっていることの意味が開けていくかもしれないと夢想しているのだが・・・・ムズカシイ。(これができるのは柴崎裕先生かもしれない)
image005.jpg 東京堂書店を出て、「文房堂」に立ち寄り、サテンに行こうかと思ったら、「三省堂」の並びに何やら新しい本屋を発見。「ボヘミアンズ ギルド」という店だ。美術・ART関係の書物がぎっしり並んでいる。2階に行くといろいろな画家の版画や作家の自筆原稿を販売していた。若いひとが経営しているのだろう、センスのよいお店である。
 いろいろあったが、金子光晴の「書」があった。なかなかいいではないか。今度、ボーナスがでたら、買いに行こうと思う。

「ケント同盟?あんどライ・クーダー」・・・08/10/12(日)

image001-2.jpg 「喫煙家」は、昨今、分が悪い。この間も女性のドイツ人に、煙草の話で「馬鹿かこいつは」というよーな批判的な視線を投げかけられた。高橋香苗さんにもよくそうした批判的な視線でみられる。どこへいっても、現在はこんな調子である。鈴石先生は、トレードマークの「ショートピース」から「ケント」のメンソールに変えた。(因みに、美育文化の穴澤氏、元副会長の中尾先生と鈴石先生は、「ショートピース同盟」を組んでいたらしい。鈴石先生はすでに脱退である)とうのも、ケントは1ミリで、断然軽いのだ。けれども、ピースの人が、1ミリで収まるはずがない。そこで彼は考えた。ケントのショートのメンソールは、辛いことを発見したのである。ニコチン、タールは、低いが、刺激があるのであった。これは「大発見」である。
 ぼくは、現在「マイルドセブン10」を愛用しているが、それは、10分の1にもかかわらず、刺激の点からいくとさほど変わらない。そこで鈴石先生が「ケント同盟」をつくろうと提案した。でも、「ピース同盟」なら、鈴石先生の作品(鈴石先生のオブジェはピースの空き箱が必要)ができるが「ケント同盟」では、作品はつくれないであろう。
image004-1.jpg 土曜日は、玉置先生からの映像資料をダウンロードできず、玉置先生には、たいへんな手数をおかけした、なんだかんだで、午前中が過ぎてしまい、昼寝もした。
予定の入っていない「休日」はかなりぼくには、精神的に重要な時間だが、それがあっという間に過ぎていくのは、なんとも物悲しい。夕方、高円寺まで散歩出て、古本屋を探索し、ライ・クーダーというミュージッシャンのデビューアルバム『ライ・クーダーファースト』を買った。1970年の作品だから38年たっている。
70年代の頃、友だちのラーメン屋の清君が好きで、一緒にコンサートに行ったことがある。マンドリン1本でステージをこなしていた。スライドギターの名手で、「ブルース」などのルーツ・ミュージックを「編集」し、新しい音楽として蘇生、表現する手法は、現在、様々な分野でみられる方法でもあるように思う。まあ、センスがいるのだが。ウィキペディアによると次のような紹介がなされている。

LinkIconhttp://ja.wikipedia.org/wiki/ライ・クーダー

 ライ・クーダー(Ry Cooder、本名:Ryland Peter Cooder、1947年3月15日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト、歌手、作曲家。カリフォルニア州ロサンゼルス出身。ローリング・ストーンズのアルバム『レット・イット・ブリード』に参加した後、1970年にソロ・デビュー。
スライド・ギターの名手として知られる。また、アメリカのルーツ・ミュージックを発掘し、世に広めたことは高く評価されている。また、映画音楽にも携わり、主にヴィム・ヴェンダース、ウォルター・ヒルといった監督の作品の音楽を担当した。特に製作を手掛けた『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、そしてその同名のドキュメンタリー映画(ヴィム・ヴェンダース監督)が話題となった。
ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第8位。

「岩井俊雄・大畑祐之フォーラム。ローテクとハイテクののはざまで」・・・08/10/11(土)

image002-2.jpg 昨日は、18時30分より、子どもの城でフォーラムがあった。岩井俊雄さんと大畑先生のなかなかすぐれた、かつ、わかりやすく、楽しいお話会であった。
 まず大畑先生の実践が、紹介され内容や方法、いきさつなどが、静かにシャイな口調で、紹介された。この授業のビデオは、過去十数年に及ぶ実践の積み重ねである。
 ターンテーブルを利用したゾートロープ、コマドリのアニメ、天地が反転した映像世界など、さまざまな実践が、子どもののびやかな活動が展開される様子とともにスクリーンに映し出された。
 いわゆるハイテクなメディアと図工的なローテク・身体性が結びついて、創造的な世界がそこに展開されている。
さまざまな機器・メディウムを教育の世界で展開している現場の実践者として、大畑先生は第一人者ではないだろうか。その大畑先生は、岩井俊雄さんの仕事からさまざまな影響やヒントを得ているという。
image004-2.jpg 次に岩井さんの自己プロフィールを含む実践紹介では、子どもの頃の経歴が現在の自身のアーティストとしての仕事につながっていることが、納得できる話であった。或る日、母親が「今日からおもちゃは買いません」というなかで、岩井さんは、工作少年、理科少年として、手づりのおもちゃを作成し始める。子どもの頃の「制作ノート」は、ものすごい綿密さで描かれている。
さらに、パラパラ漫画からはじまって、「残像」の原理などにもふれ、ものが動いてみえる映像の原理を紹介しながら岩井さんの大学時代から今日までの仕事を紹介された。それは、わかりやすく、かつ、楽しくあきない内容であった。
 最近は、娘さんを相手に、造形遊びや絵本の製作、学校での授業にまで、範囲を広げ、単なるメディア・アーティストの仕事の範囲を超える仕事を行っている。
 そこには、小学校時代に手づくりで自分のおもちゃを作成した経験が、投影されているように感じた。
岩井さんは、「ものごとの原理や仕組みなどを解析し、工夫を加えてものづくりをおこなう」という行為のなかにある創造性に着眼しているのであった。
image006-1.jpg 大畑先生の仕事の特徴でもある「ローテク」と「ハイテク」を結ぶ行為は、岩井さんの仕事の本質でもある。そこには、ハイテクなメディアを活用しながらも、それかかわるひとが、身体性をもち、創造性をもって関与できる構造になっているのであった。
 岩井さんの述べられた「ゾートロープ的な世界から、ハイテクな世界を見直し、現在のハイテクの、他者から与えられたゲーム的・プログラムの世界を一方的に受容するのみではなく、身体的な造形遊び的な世界をつなぐものとして活動を目指している」という発言は、ますます視覚的、映像的なハイテク世界が増大し、受動的な態度を迫られる現代社会を生きる子どもにとって、自らの身体性の中で、創造性を育む図工を新たに切り開く意味をもっていると考えられるのであった。
 お二人の世界には、PCや映像ソフトなどを、粘土や木切れなどの従来の材料や用具と同列に扱うまなざしがあり、造形遊びのひとつの材料としてハイテクを活用しているのであった。
 活動の基本は、子どもが自分で「感じ、考え、工夫し、表現し、伝え合う」創造的な行為を展開できる場をつくりだすことであろう。

「ゆれる」・・・08/10/10(金)

image001.jpg 昨日は、玉置先生からの映像の資料をダウンロードしようとしていたら、時間がかかって、なかなかダウンロードできないので、TVを見ていたら、映画『ゆれる』というのをやっていた。

 田舎のなんとも言えない閉塞した日常を背負っていきる人はよいが内気な兄。東京で活躍する写真家の弟。
 二人は、久しぶりに法事で会う。弟の昔の恋人と兄と弟は、三人でつり橋のある渓谷にでかける。弟は、女を避けるようにつり橋の向こうにいってしまう。女と兄は、つり橋の上で、もみあううちに谷底へと転落する。腕には、女のつかんだ跡がくっきり残っていた。
遠くでみていた弟は事件を確信する。そして裁判で、兄をかばうように動こうとする。しかし、その過程で、兄弟の間の確執が浮かび上がり、弟は、証人として、兄が女を落としたことを目撃したことを話してしまう。決定的な決裂がそこに出現する。
7年たち、出獄の日がきた。倉庫の隅に埋もれていた思い出の8ミリ映画。なつかしき家族の幼いころの映像が浮かび上がる。
 兄は相変わらず弟の闊達さに比べ、大人しい。しかしながら、岩を登るとき、あのつり橋を渡るとき、いつも弟の腕をつかみながら、守るように弟をかばう姿がそこにあった。
その時、弟の目から涙があふれ出す。自分の思い込みが間違いだったことを発見する。兄は、女を突き落したのではなかった。落ちていくのを、手を差し伸べてかばおうとしていたのであった。

 兄弟のなかにある確執と真実がまじりあい、何が本当かをめぐって「ゆれる」。虚と実がみるものをひきつける。
 『ゆれる』は06年に公開。西川美和監督。出演はオダギリジョー香川照之ら。
映画はもともと虚構だから、そこに映し出されているものが、うそか、本当か判別できない。うそのようにも描けるし、本当にも描けるのだ。ぼくは、こうした表現の虚構性を巧みに演出した映画だと感じた。それから、兄弟の確執というのも、かなり、普遍的に存在する感情で、それを浮かび上がらせたのにも関心をもった。

 映画が終わり、PCをみると、なんと、作動がストップしており、ダウンロードできていない。その後何回か試みたが、ダウンロードできないのであった。トホホ・・・。

「図工だいすき子ども美術展[冬展]打ち合わせ」・・・08/10/09(木)

image002.jpg 昨日はCCAAで6時から「図工だいすき子ども美術展冬展」の打ち合わせがあった。冬展のメンバーは鈴石先生、横内先生、時任先生、柴崎先生、中村隆介先生、加藤啓先生、高村先生、辰野先生、辻である。
 子ども美術展は、今年から秋展と冬展の二回の開催となり、おじさんたちは、冬展となったのであった。当然ぴちぴちの若者は、青山の「こどもの城」である。
冬展は、三つのセクションに別れた。「あそぶ」「つぶやく」「つくりだす」である。小生は「つくりだす」。壁面を決めて、これから準備する。
 反省会は図工室で自炊のそばをごちそうになった。調理は時任先生。なんと彼は料理の名人であった。
10時に終わり、「新宿三丁目」から、副都心線に乗り継ぎ、座ったら、うとうとした。気がついたら、なんと逆方向ではないか。トホホ・・・・。

「新学習指導要領解説と多摩図研会長訪問」・・・08/10/08(水)

image002.jpg 皆さんは「新学習指導要領解説図画工作編」をすでに読んだだろうか。意外に読んだという人は少なかったりする。制度的に言えば、法的拘束力をもつ、大綱的なものであるから、公教育の実施者としては、読むべきものである。が、なかなかひとりで読んでいると読み切れないものである。それは、文体が、主観的なものや感覚的なものを排除しながら使用であるため、とっつきづらいものになっているからだ。かえって小説のような虚構や主観に彩られた文体の方が、読み手は、感情移入やさまざまな連想を膨らませることができるので、普遍性に到達することができたりする。しかしまあ、そうも言ってはいられないので読むしかないのであるが、今回の指導要領は、目的、学年、内容、項目、事項、共通事項、指導計画の作成と内容の取扱い、また、主語、述語などが、演繹的に構造化されていて、以前のものよりずっと読みやすくなっている。が、それでも、なかなかとっつきにくいといったところであろう。
 しかし、受験勉強のように情報をただ暗記しても、眠くなる、また、読んだ端から忘れていくのみなので、自分の実践や経験と相関させて読むことが必要かもしれない。そのうち、私もひとりで読むのは、なかなか骨が折れるので、みんなで読む「読書会」なども企画しようかなと思っている。
 また、昨日は、多摩図研の会長の菅沼晶子先生が来校し、7時から9時まで話をした。ご存じのように、多摩地区は、「都図研」と「多摩図研」という組織が二重構造になっており、それぞれが独立した組織体として運営をおこなっている。この体制は数十年も続いており、さまざまな見解がそこに生じている。会長同士が話しただけで、何かがすぐさま変わるわけではないが、まずは話し合いの端緒をもったということである。

「城北大会運営委員会」・・・08/10/07(火)

 昨日は、板橋区の成増小学校で城北大会の運営委員会があった。城北大会は、来年度の都図研大会のブロックである。今日は、12月16日に、成増小学校でおこなう城北ブロックの研究授業についての協議を中心におこなった。これは、プレ大会ではなく、城北地区の先生方のブロック研究会で、他区には公開しないが、まず、研究を進めていく手はじめの研究会としては、よい事業であると思う。
12月の理事研究会は、当初の計画では、理事長校の落合第六小学校でおこなう予定であったが、会場を成増小学校に変更した。各地区の理事は、成増小学校に来校し、大会の場所の確認を兼ねての理事研究会となる。
 まだ、12月12日の西多摩大会は、終わっていないが、次の城北大会、そして、その次の城南大会も、動き始めている。各地区の皆さんのこうした努力が、ベースとなって都図研の活発な活動が維持されているのである。
 若い先生方もかなりの人数になってきているので、積極的に参加して、いろいろなものを吸収していただきたい。そう言えば、12月12日の全体会では、西多摩から城北へ、大会旗の引き継ぎがある。それを契機に本格的に活動に入る。西多摩の先生も、城北の先生もともにがんばってほしい。

「岩井俊雄・大畑祐之フォーラム」・・・08/10/06(月)

 今週の金曜日、10月10日に、青山の「こどもの城」11階会議室で、メディアアーティストの岩井俊雄さんと都図研研究局副局長の大畑祐之(まさゆきと読む)先生のフォーラムがおこなわれる。
 大畑先生は、ぼくが板橋にいたときからの付き合いだから、十数年たつが、このところ充実した実践が身の回りのひとに知られるようになってきた。
 本人は、実にシャイで多くを語らない人なのだが、誠実な人柄と内に秘めた情熱は、知る人ぞ知るの人物である。最近では、先日おこなわれた研究局公開授業での「光」を使ったものが記憶に新しい。「同じ題材は二度おこなわわない」という姿勢も有名である。また「真夜中の図工専科」とも言われていて、授業準備を真夜中におこなっているとのうわさも流れている。
 初期のころから、パソコンに習熟し、授業に生かしてきた。家には、5、6台のパソコンがあるらしい。ハイテクと身体的なローテクが、混じり合ったところに大畑先生の授業の特徴がある。 
 岩井俊雄と大畑先生のフォーラムは、どんな掛け合いになるか、楽しみである。

「活字中毒」・・・08/10/05(日)

image002-1.jpg 都図研の「活字中毒者」というと、鈴石先生、横内先生、柴崎先生、高橋香苗先生などがいる。若者では、吉岡先生などが活字中毒らしい。
 こうした人は本を読んでいないと死んでしまうらしい。私は、高校生までサッカー少年だったので、活字にほとんど触れたことがなく、ここで挙げられた活字中毒者のように、子どものころからの読書好きではない。というより、いまでも、必要がないと読めない。(どころか、現在は、読む時間さえない)
 TVで、読書紹介番組をみていたら、「ラジ アンド ピース」(絲山秋子著)という本を紹介していて、評者が、「非常に乾いた文体だ」と解説した後、「引用されている音楽がわからない」と言った。「パティスミスの音楽っていったい何だ。」「こういう教養がないと最近の小説は、よく理解できないところがあり、教養の意味が変わってきているのでは」。もうひとりの評者は、「パティスミスの音楽は、実に激しい感情をもっており、乾いた文体に背後に、作者の激しい感情が隠されていることを感じる」と述べた。
 では、読者は、パティスミスを知らないとこの本を理解できないのであろうか。それとも、そうした情報がなくても、この本を読むことは可能なのであろうか。

「都図研研究局第2回公開授業」・・・08/10/04(土)

image002.jpg 昨日は、岡田京子研究局長の公開研究授業が町田第四小学校であった。町田は、都心からはずいぶん遠い。駅を降りるとやたらと人が多くせわしない感じで、同じ東京でも地域によって雰囲気は違うなあ、という印象をまず受けた。
 タクシーで学校のそばまでいった。周りをぐるっと、回って正門へ、行く途中、フェンスに「きょうもわくわく・・・・」とカワフルな板に彩色した文字が張ってあった。地域や保護者、また、児童にも図工の 時間をアピールしている。岡田先生もがんばっていると感じた。
 その日の授業は、土粘土の造形遊びで、前日、粉の状態から自分たちで、水を混ぜ、こねあげたもの。材料を全身で体感しながらするところから始まっている。思えば、自分は、人工粘土とテラコッタ粘土は使っているが、久しく使っていない。(まずは大反省)
 大量の土粘土(総量170kg)はそれだけで、魅力十分だ。岡田先生の授業は、微妙なバランスをとりながら行われている。
 つまり、どこまで教師が、介入するか。教え過ぎず、ほったらかしせず、子どもが自主的な活動を展開できるようにという視線によって営まれているのであった。
研究局のサブテーマは「子どもの夢中へと続く道」であるから、子どもの夢中を引き出すためには、題材や投げかけや環境などが、どこまで適切なのかを目の前の子どもの実態、様子に基づき、おこなわないといけないのである。それは、極めてライブな感覚もともなっている。
image004.jpg 一般的に、教えることは、教師の頭の中にあるシステムや技術を子どもにいかに教えて、走らせるかということが、問題になるが、ここでは、そうした視線を抜けて、子どもの自主的な表現活動が生まれることに腐心しているのであった。つまり、研究局の大テーマである「子どもにアートが生まれるとき」をもとめているのであった。
 ぼくは、今夏、大阪でみた全国大会の授業を思い出した。そこでは、子どもの造形的な操作活動が導入に使われ、そこをめざして子どもが活動していた。そうした授業のあり方とは、真反対の性質を持っていると思えたのであった。
 一方、岡田さんの授業は、操作に関することは、一言も言ってはいないのに、「穴をあける」「たたく」「丸める」「伸ばす」「ヘラでツルツルにする」「ひっかく」「削りとっては積む(カービングとモデリング)」「小さい形を組み合わせる」「粉をまぶす」など実に多種多様な操作活動(創造的な技能)を自ら生み出し、量感、高さ、方向性、質感(粘度)、空間性などの造形的な形や色とイメージを展開できているのであった。これは、さりげないが、実はおどろくべきことなのである。
 授業のあとは、パネルディスカッションで、南育子先生、柴崎裕先生、ぼくが出席したが、ぼくの発言は、なんだかよくわからないが、お二人の具体的、抽象的でかつ的確な意見が�述べられていた。(パネラーは、パネルデイスカッションがどんなものだったのか、客観的にはよくわからないのであった)
 以上、2回目の研究局の公開授業が終了した。研究局の皆さんの努力はすばらしいと感じた。今後は、西多摩大会での授業、60周年記念式典での授業、また、報告書作成にむかって活動するが、研究局の皆さん、がんばってください。

「西多摩大会が近付いてきた!」・・・08/10/2(木)

image002-1.jpg HPの右上に、大会までのカウントダウンがのっている。あと71日である。あっという間に、近いづいてきた。大会関係者もそろそろせわしくなってくる。皆さんの協力で、ぜひ成功させていただきたい。
 大会実行委員長は、菅野先生。ひげもじゃのおじさんであるが、たいへん誠実で、やさしいひとである。もともと版画をやっていた方で、職人肌である。イラストは、高村弘志先生が描いているので、どこかアクが強くでているが、菅野先生のせいではない。
 それから、記念誌の座談会の記事を明け方から夜までかかって校正し玉置先生に入稿した。が、そのなかで、1980年の中野大会について鈴石先生の次のような言葉があった。この大会は、「ワークショップ」というものを行った歴史的な大会である。

それから都図研全体の先生方が城西大会に関わった初めての大会なんです。実行委員会の中に、各ブロックからの代表の人がたくさん集まって、ワークショップをする人と普通の授業をする人と全部分かれたんですが、いずれにしても授業者が全都から集まったんです。その流れが今でもあるわけで、都図研の研究局の公開授業があるのは、実はこの城西大会からスタートしているんですね。都図研総体として大会に係わるんだという思想をここで打ちたてたんだと私は思っています。

 現在、ブロック制で行われているが、今後は、都図研全体がかかわれるようなシステムも検討していく余地があると、文書を読んでいて思ったのであった。
今日は、落合第六小学校で、事務関係の会議がある。明日は、研究局の公開授業がある。ぜひご参加ください。

「創立60周年記念誌・校正」・・・08/10/1(水)

 現在、玉置副会長を中心に「60周年記念誌」の編集をおこなっている。昨日の朝、玉置先生から、「座談会」の原稿が届いた。20Pあるが、7Pに圧縮せよ。との命令付きである。石井弘先生、鈴石先生、横内先生、辻の座談である。これがじつに難しい。ずっとやっているが、全然終わらない。今日は、やっと休日かと思ったが、なかなかうまくはいかないものだ。