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都図研は今年60周年

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「谷川俊太郎ワークショップに子どもの豊かな時間が流れた」・・・08/11/30(日)

image002-4.jpg あたふたと机が足りないなどとおおさわぎをしながら、会場準備をするうちに、子どもたちと保護者の皆さん、そして、谷川さんが集合し、高橋香苗先生の司会で、会がはじまった。ぼくの挨拶と活動の諸注意を済ませ、別室で、ワークショップがはじまった。内容は、子どもの絵を素材に子どもが詩をかくというもの。全然こちらも経験がないため、様子をみながら、進行ということになった。子どもの様子をみながら、谷川さんに様子を聞き、アドリブで調整しながらおこなった。保護者の皆さんには、申し訳ないが導入後、参観をご遠慮いただいた。
 谷川さんの話は、そっけなくていい。「読んで楽しいものを書いてください。」それだけだ。
 子どもたちは、自分の絵の前の机を運んで、書き始めた。さらさら書く子、固まってる子・・・・。言葉を書く行為というのは、造形活動と違って、直接、変化が目に飛び込んでこない。ぼくには、独特の体験だ。
 そのうち書き上る子どもが出てきて、谷川さんにみてもらいアドバイスを受けた。次々に、できはじめると列もできる。谷川さんは、丁寧にアドバイスをしていた。自分の詩を書く暇もないほどどんどんできてきた。はじめは、なかなかできなかった子どもも書き進めるうちにどんどんできてきた。時間をみるとあと30分。午前中には全員完成しそうだったので、昼食後、保護者の皆さんも参加して、自作の詩の発表朗読会をおこなうことにした。しかし・・・予想を超えて子どもたちはどんどん詩を書いている。すごいものだ。
image004-1.jpg 昼食をとって、記念写真撮影後、順番で、詩の朗読がはじまった。
 文字だけとちがって、声をともなう朗読はなかなかいい。内容もいいが、その子の感情やひととなりが、言葉とあいまっていい感じなのだ。そこにはいろいろなメッセージがふくまれるからだろう。
 次々に子どもの詩の朗読を聞いているとほんとに、いい感じであった。緊張した高学年、哲学的な少年、かわいい少女、幼い一年生・・・・どれもがほんとにいい感じである。もちろん谷川さんの詩もよかった。
 横をみるとあのこわもての時任先生が、涙ぐんでいるではないか。かなりジーンとくる豊かな時間がそこに流れたのであった。
 最後に、高橋先生の司会でみんなで拍手。「谷川さん、なにかございますか?」「何にもないよ」最後もそっけない。そこが実にいい。ほんとに大事なことは、大仰(おおぎょう)にしなくとも、こころに残るのだ。といっているように感じた。
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 2年越しに計画を練ってきた「谷川プロジェクト」のワークショップが実現したが、そこには図工の新たな可能性をみつけることができたと思う、さらに、どうにかそれを「形」にしていきたいと考えている。プロジェクトはまだ続く。
 参加していただいた子どもたち、保護者の皆さん、絵を提供していただいた先生方、プロジェクト実施スタッフ、会場を提供していただいたCCAAの鈴石先生、そして、谷川俊太郎さんには、このようなすてきな時間をつくるために、ご協力いただきありがとうございました。

「谷川俊太郎ワークショップ前日準備」・・・08/11/29(土)

image005-1.jpg 金曜日は午後から休暇をとり、鈴木副会長、柴田先生の展覧会を足早にみて(お二人ともがんばっていた)、CCAAに行き、前日準備をおこなった。
 作品の調整、台紙貼り、名札、表示、会場準備、当日のスケジュール確認などをおこなった。時任、高橋香苗、本間、加藤貴子、杉山先生が、手際よく活動してくれた。
 いよいよ本日実施となる。2年越しの計画の実現である。子どもの絵と谷川先生の指導する子どもの詩がどのようにリンクしていくのか、はじめての試みであると思うのでとても楽しみである。参加児童も、都内の各学校より、保護者同伴で参加していただく。子どもたちにとってもよい体験になるであろう。
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 準備の後、男4人で反省会。飲み助のおっさんたちの「ハイポーズ」は濃いねえ。

「電飾(でんしょく)―光の造形遊び」・・・08/11/28(金)

image002-5.jpg 寒くなってくると、「電飾」が街をかざりはじめる。ケーキ屋は、なかでも一番はじめに電飾をかざりはじめるところである。写真は、白山駅の近くのケーキ屋さん。
そして、徐々に電飾が街に広がっていく。最近は、民家でも、電飾をつけている。場所によっては、町内の一角の家がすべて電飾でかざられていて、見学者が出る場所もあると聞く。街全体が「光の造形遊び化」している感じがする。
そう言えば、大畑先生の考案した題材「電飾マン」は、電飾を内蔵したビニルで包まれた人間たちが、体のなかに光が点灯させる面白いものだ。大畑先生も街の電飾をみていて、題材を思いついたのだろうか?
来週から早いもので、12月だ。今年もあっという間であったが、冬休みまでの数週間、いろいろな行事が詰まっている。「谷川俊太郎プロジュエクト」「都図研西多摩大会」「都図研理事研究会(板橋、成増小学校)」「図工だいすき子ども美術展・冬展」「教育課程委員会報告書」「60周年記念誌編集」「60周年記念式典関係」そして・・・「成績」。
 今週末も、「展覧会」の学校があり、たくさんの図工の先生たちが奮闘している。がんばってください。

「谷川俊太郎プロジェクトあんど図工だいすき子ども美術展冬展の原稿が・・・」・・・08/11/27(木)

image002-6.jpg 29日(土)の谷川俊太郎プロジェクト(非公開)が近付いてきた。子どもの絵画作品を基に、他の子どもたちが、それを鑑賞し、詩をかくというもの。どんな具合になるかたいへん興味深い。金曜日の夜に事前準備。いよいよ次の日、本番となる。
 ところで、「図工だいすき子ども美術展」は、おじさんたち(1名は女子)は、年末から年始かけてやることになったのだが、パンフの原稿の締め切りが、今週末らしい。ウオー!なんにもしていない。与えられた壁面を好きなように料理していいのだが・・・。
 あれこれ考えて、これまで指導した子どもの作品を勤務校別(時代別)にならべることにしたのはいいが、作品を出してみると何んにも変わっていないではないか。というのが初発の感想。
「写真」は、ぼくの初任校の今から二十数年前の子どもの絵。図工室に連れてきたウサギを抱っこし、大騒ぎしたあと手で絵の具を塗りたくりながら描いた。
 いろいろみているとその時々の記憶が蘇ってくるが、なんだかよくわからないまま28年経ってしまった感じだ。ああ・・・ということで、自分のテーマを「なんだかよくわからないまま28年経ってしまった」にした。原稿は、時任さんに提出するのだが、締め切りが守れるかどうかは、定かではない。

「CCAA図工寺子屋横内克之セミナーあんどケント同盟」・・・08/11/26(水)

image003.png 火曜日は、18時30分より、CCAAで「評価」をテーマに、横内克之先生のお話があった。
 横内先生は、たいへんまじめな方で、指導要領の変遷やこれまでの指導観について、詳細に、また、具体的に検討しながら、指導と評価の一体化の必要性や意味について説明された。
 それはあくまでも、評価によって子どもを切り捨てるのではなく、子どもの活動を前向きに見取っていくまなざしに貫かれていた。
 けれども、評価の枠組みを綿密に検討し、設定しつつも、それでも、その枠組みから抜け落ちていくものがあって、確定できない何かが残るのではないか、というのが、横内先生の話を聞いていたぼくの感想である。つまり、横内先生は詳細に語りながらも、暗にそれを言っていたのではないかと思えるのだ。
 後半部の実践の話は、いつの間にか評価の話を超えて、横内先生の極めて真摯な実践の話となっていた。評価の内実は、むしろ、こうした横内先生の実践への熱い思いのなかにこそ存在するように思えた。
image005.jpg ARTや人間存在の核心は、語ろうとしても語りえぬことのなかに、眠っているように思える。むしろ、そのような存在の様態の中にこそ、存在の価値があることを心得ていないと「評価」は、危ないものになる。
 反省会では、あいにく横内先生は帰られたが、鈴石先生、矢木先生、加藤真先生で、中華に行った。そこで、あれこれ話すうちに「キャビン」から「ケント同盟」に加藤先生も入ることになった。これで4人目である。ちなみに強制したわけではなく、あくまで自主参加である。

「国吉康雄展と舘林美術館」・・・08/11/25(火)

image006.png 月曜日は、やっと休みになったので、舘林美術館に「国吉康雄」(1889~1953)を見に行った。(ああなんて、渋い趣味なんだ)
 美術館は、平べったい、曲線と直線の広がりのある建物で、空や水や石や芝生やガラスが配置され、透明な空間をかたちづくっていた。建築家は、高橋 靗一(たかはし ていいち)。1924年生まれだから、84歳である。建築は詳しくないが、実に洗練されたモダンな建築である。

 国吉康雄の絵を久しぶりにみた。国吉は、1953年に死んでいるから、ぼくが生まれる前の年まで生きていたことになる。こう考えると、そう昔の画家ではなく、身近な感じがする。(逆に言うと自分はおっさんということだが・・・)
image007.jpg ベン・シャーンや国吉の画面は、なんとも言えない寂しい風情がある。
描法の面からみると、国吉の絵画は、キュビスムの陰影法を応用したような形態把握の方法を独自に創出していると感じられる。
みたままを描いているわけではなく、一度、対象を内化し、それを処理しながら、立体感や空間感を表現しているのである。それは、輪郭の際(きわ)の処理にみることができる。なんというか・・・切り紙をコラージュしたような構成と画面の平面性をともなった奥行きがぼくには、特徴的にみえるのであった。
また、茶褐色の色彩と質感が、大きく寄与している。こうした技法の上にさらに、描かれたモチーフがあいまって、国吉の絵画を成立させているのであった。
 世界恐慌や世界大戦といった厳しい世界を前にたたずむ人間の奥深い感情をみごとに表現している。また、移民としての国吉の心情もそこにはあるのかもしれない。

「チャリティ・オークション番組」・・・08/11/24(月)

image002-1.jpg 日曜日は、夕方に仕事から帰ってきて、昼寝(夕寝?)した後、TVをつけると、タレントや著名人の絵をオークションにかけて、販売し、そのお金でカンボジアに「学校」を建てるという特集番組をやっていた。
 ぼくのような普段図工にかかわっている者からみると、現在のメディア社会のなかで、「絵」(図工作品)をさまざまな「交通」の媒介として活用しているところに面白さを感じた。
 そこでやりとりされたものは、「お金」「ボランティア精神」「著名人との触れ合い」「個々の参加者の思い入れ」「好奇心」「学校」「子ども」「経済格差」・・・・といったさまざまなものである。
 特に「お金」という欲望と「ボランティア」という聖性が、入れ替わり昇華していくストーリーは、視聴者を飽きさせてはいけないというTV番組のエンターテナーとしての宿命を見事にクリアしながらのものであった。
 出品作品はいろいろなものがあった。現代のアニメ文化を反映してか、マンガ的なものもずいぶんあったし、いろいろな技法やさまざまなパターンのものがあり、こんな人がこんな絵をという意外性も面白かったし、プロとアマの対比も面白かった。
さらに、参加者が、絵を制作する姿は、絵を描く行為が内省的な状態にひとを導くことを示していた。(タレント、文学者、文化人など、絵を描く人は案外多い秘密はここにある?)
一番メインは、作品に値段がつけられ、法外な価格につりあがっていく様子である。そもそも絵の値段などあってないものなのだ。ここでは、作品そのものの価値ではなく、有名人の作者や購買者の動機などの文脈性がそれを決定していくのであった。そして、買い手が多ければ、値段も競争によってつり上がっていくのであった。
このようにこの番組はたいへん練り上げられたコンセプトによって成立していて、これをプロデュースした人の才が感じられるのであった。
 絵(図工の活動)を媒介にすることによって、さまざまな意味が生まれる場をつくりだすことができると、直感させてくれる番組であった。

「舞台裏からみた風景」・・・08/11/23(日)

image002-1.jpg 土曜日は、本校の学芸会二日目。写真は、舞台横の2階にある放送室からの眺め。
 演劇は、「真っ正面」の客席からみるのを前提としているので、こんな角度からみると、ぜんぜんちがう風景が見れる。同じものでも、そこにはちがったものが見えてくるのであった。
演劇は、総合芸術で、空間性、時間性を含んだ形式で、音楽や美術やパーフォーマンスや共同性や観客性など、もろもろの要素が総合されたものだ。
 三年毎の周期で、催される行事として東京都の学校では、昔から定着しているが、最近は「学習発表会」などの学校もあり、ここ数年、そうした従来の傾向をくずしつつある学校もあったが、運営した教師の感想を聞いてみると、「学習発表会」は、そもそも大人の浅知恵ではじまったもので、毎年おこなっても、深みがないというような意見が多い。むしろ、学芸会、音楽会、展覧会の形式がもつ学習内容の深さが、行事として再評価されつつあるといったところではないか。
 けれども、こうした行事は、保護者や地域の方々と直接向き合うことで「評価」がそこに生まれるので、いやがる教師も多いが、むしろ、日頃の学習の成果をアピールできる場として捉えた方がよい。
 「展覧会」は、図工教師にとっては、日頃の学習を基盤とした子どもの表現活動のよさを示すことのできる楽しい機会ととらえ、多くの図工の先生方ががんばっている。
 ここ数週間、都図研の仕事の応答に、音沙汰のなかった高橋香苗副会長などは、図工の授業を堪能していたらしく、展覧会ですがすがしい表情をしていた。
 演劇に話をもどすと、高橋香苗先生や中村隆介先生は、学生時代、演劇をやっていたらしい。(中村先生も展覧会であったが、見にいけなかった残念)。どうりで、このお二人の活動は、重層的な視点や考えで成立している。それから、パッションもそうかな・・・。
演劇のもっている複合的な視点は、結構、図工でも大事な視点だと思う。

「産業化した教育・学校化した社会」・・・08/11/22(土)

 ふと、通勤勤電車のつり革をふとみると、宣伝が載っていた。かように生活の細部に侵入しつつある特定の教育観。そこでの基準は、ある階層に子どもを送り込む誠に現実的なシステムをつくりだしている。差別化するシステムといってもいい。・・・・けれども差別化するシステムに幼少の頃からどっぷりつかり込んでいるとどうなるか。その意味でフィンランドなどのテストをしないという行き道は、正しい。親和的な共同体は、属する人間にやる気を起こさせ、たんに個人のためではない意識や行動を起こさせ、共同体そのもの活性化させる。図工の意味は、この辺に大きくかかわっている・・・・と、こんな妄想をしているうちに白山駅についた。

「図工の先生だって読書する」・・・08/11/21(金)

image002-2.jpg 「読書の秋だ」。図工の先生というとゲイジュツ的だったり、感覚的に面白かったり、お酒好きだったりするイメージがあるが、「読書」だってする、だろう・・・。
 でも、文学やアートに特化していて、社会学、政治学的、経済学な分野は、結構、疎いというのがぼく自身を含めた感想である。(大学の先生だってこりゃ同じなのだ。特に美術教育学というのは、ほんとは学問として自立する分野なのかどうか・・・「現場」でもなく「学」でもないとすると・・・・なんなのだろう。)
 最近の日本の国情は、なんか変だぞ、おかしいぞ、と思っている方は多いはずだ。経済や福祉や教育の状況は、やっぱりおかしいが、どこが・・・といったところなのだ。
 『格差社会と教育改革』(岩波ブックレット、480円)は、手ごろなお値段で、苅谷剛彦(教育社会学)と山口二郎(政治学)という二人の気鋭の学者が、語る現在の状況分析である。データを基にした論理的な語り口に説得力がある。
 『競争しても学力行き止まり』(朝日新聞社、1200円)は、最近注目される「フィンランド教育」と「イギリス教育」を比較教育学視点から検討し、現在の状況を読み込もうとするもの。(日本の教育改革は、イギリスのサッチャーモデルなのだ。)
 図工や芸術教科など、文化の教育が、なかなか理解されず縮小されるのは、子どもの育ちにとって痛手であると図工の先生は考えるのであるから、社会の制度的視点も鍛えながら、考えることも大切である。と、自分自身に言っている。

「ふと、みえた」・・・08/11/20(木)

image001-2.jpg 「ヨーロッパのモダニズムは、アフリカの民族の意匠を巧みに利用した・・・・」というこの書き出しは、うそで、この写真は、ぼくが大正時代に建てられた地下にある図工室にいくまでの階段に、隣の校舎から続く細い通路からの朝の光が差し込んで影をつくったものを撮ったもの。ブランクーシの彫像の影みたいでなんか美しいのであった。
 だいたい学校へは、7時〜7時半の間にいくが、今の季節とこの時間だけしかこんな影は差し込まない。光の入射角度はどんどん変化していくから。
 造形というと人間の手の入ったものを指してしまうが、自然の事象の成り立ちは、もっとすごいと思ったりする。もっとも、すごいと思うのは人間なのだが。
素朴にものを発見するまなざしに自分自身も欠けていることを自覚する。
 最近の教育は、その背後に権威やお金ばかりに目がいくような潜在的なシステムが構造化されていて、子どもは敏感にそれを感じてしまっている。

「本校の学芸会アンドいろいろな学校で展覧会目白押し」・・・08/11/19(水)

image003-1.jpg 週末に学芸会が迫ってきた。ぼくの学校は、三年周期で展覧会、音楽会と行なっている。今年は学芸会なのだ。去年は展覧会で老体にムチうったが今年は、お手伝いである。それほど貢献しているわけではないが、「背景の森の絵(写真)」と「ヨーロッパ風の街並み」、「建物の室内」を手伝った。
 しかし、そのでかさはびっくりした。幅約7メートル×高さ約4メートルは相当な画面だ。キャンバスなら500号くらいか?そんなでかいのは学芸会ぐらいしか描いたことがない。森は一人で描いた。「街並み」と「室内」は下書きをした。でも、たいへんではなく、楽しかった。絵を描くのは楽しいな。
 なんやかんやでやっと仕上げたが、どんな案配かまだ見ていなかったので劇の学年練習におじゃました。舞台の後ろの壁面をはみ出て、全部が入らないほどの大きさだ。洞窟の奥行きやみどりや紫の色の感じが出たなと思ったが、一番驚いたのは、練習終了後の子どもの意見の発表だった。するどい批評的な意見がどんどんでる。
 ちょうど図工の学習指導要領の「鑑賞」で話し合いや批評性などが盛んに言われているが、それを地でいった感じであった。なかには、台本をきっちり読み込んで、セリフにまで言及している子どももいる。
これは、学級での日頃の学習の積み重ねがあるゆえんであろう。なかなか専科の図工の時間だけでは、こうはいかない。
 ところで、展覧会の学校もたくさんある。先週の木金土曜日は、あいにく仕事で、大畑先生や岩田先生や平田先生らの展覧会をみれなかった。残念!
 今週末も、いろいろな学校で展覧会が目白押しである。金、土と本校も学芸会。日曜日も仕事が入っているなー。困った困った。でも皆さんがんばってね。

「都図研60周年記念誌あんどアフガニスタンからの応募」・・・08/11/18(火)

 昨日は、夜、僕の住んでいる「ときわ台」のガストで、玉置先生と待ち合わせをし、「60周年記念誌」の校正と打ち合わせをした。おおよそ75パーセントのでき具合で、あとは、未入稿の原稿を催促して、デザインを行う。なかなかいい冊子になりそうである。
 12月はじめには、印刷所に入稿しないといけない。もうすぐである。1月23日の「東京都図画工作研究会創立60周年記念式典」(新宿、落合第六小)に、皆様に配布する予定である。
玉置先生、大畑先生、庖刀先生、時任先生は、編集デザインのスペシャリストで、一人でだいたい仕上げてしまう。昨年度の中央大会の研究紀要も庖刀先生ひとりで、あげてしまった。この能力の高さと努力を厭わない気持ちが都図研の活動を支えている。ありがたい。
 それから、昨日の世界こども図画コンテストの講評を送付したのだが、世界の紛争地域からも子どもの作品が送られてきていてうれしいというような内容の文を書いたのだが、早速、事務局のSさんからお礼の返信が来ていて、その中に次のような文があった。


「アフガニスタンなどの紛争地域からの応募も今回はありました。1つの小学校から200枚の絵が送られてきたのですが、家族や友達、そしてアニメのキャラクターなどを描いた明るい色彩の絵が多く、たとえ情勢は不安定でも、子どもたちの希望にみちた作品がうまれていることに、感慨を覚えました。」


 まったく世界は、戦争と紛争に満ちているが、子どもの絵には平和のメッセージが込められている。

「児童画審査・教育ニュース・BT60周年」・・・08/11/17(月)

image002.jpg 土曜日は、家の光主催の「世界こども図画コンテスト」の審査会があった。審査委員は、加茂川幸夫先生(近代美術館館長)、梅原幸雄先生(東京藝大)、中瀬律久先生(聖徳大学)、永関和夫先生(全造連)そして、都図研の辻である。こうした審査は、都庁関係など、多くある。これも、図工の専門家としての仕事であると考えている。
image004.jpg また、日曜日は、眠気まなこでTVをつけると、フィンランドの教育についてやっていた。日本人が考えるような「積め込み」はそこには
ないようである。むしろ、日本とは、まったく反対の考え、制度だ。
 それから、都図研は今年60周年であるが、「美術手帖」も60周年記念なのであった。最近、図工教育関係も記事で取り上げていただいたり、また、本年の4月には『図工室に行こう こどもがつくるたのしい時間』を出版していただいたりしている。
image006-1.jpg 60年というと「美術手帖」も「都図研」も戦後の歴史とともに歩んできたと言える。都図研は、残念ながら、資料が散在していて美術手帖のような資料はつくれないが、現在、玉置副会長が懸命に「60周年記念誌」を編集している。ふたつの記念誌をリンクさせてみると、戦後の美術の位相が、あらたに見えてくるかもしれない。

「関東甲信越静地区造形教育大会群馬大会・補足と雑感」・・・08/11/16(日)

 木曜日、金曜日と高崎で関ブロ群馬大会があり、携帯で菅原先生に送付した数十にも及ぶメールは、まるで、嫌がらせのように彼の携帯を襲ったかもしれないが、菅原氏は、あっという間に、「速報」にして、HP上にアップしてくれた。すでに、彼は、都図研史上、前代未聞の地平を切り開いている。

image006.jpg さて、「速報」であるが、映像をみられた方は、それを通して、その雰囲気や事象を感じられたかもしれない。が、やはり言葉不足がそこにはある。若干の補足と感想を述べようと思う。

 関ブロ大会は、48回目を迎える。関東近県の一都、十県がメンバーとなり、輪番制で大会を開催している。昨年は、東京。本年は、群馬。来年は、千葉というようにローテーションが、決まっており安定した開催がこれまで展開してきた。この体制は半世紀の歴史をもつが、今後も継続していくことが、造形美術教育にとっては、その基底線を形成する意味でかなり重要なものである。十年後に向かってすでに、一歩は記された。

 また、上部団体に「全国造形教育連盟」があるが、全造連は、組織が、全国的にもかかわらず、未だ「ブロック制」の形成途上にあり、造形美術教育の組織化が進行していない。関ブロは、大きな石づえとなりうる組織である。が、関ブロもまた、世代交代などで、その意義や開催のノウハウの伝承が課題となってきている。

image007.jpg 関ブロ本部は、慣例で東京都に本部を置いている。都図研と都中美が2年交代で、本部を設置し、運営にあたっている。しかし、その母体となる「東京都造形教育協議会」は、その他の校種も門戸を開く形で組織されているのだが、積極的な他校種の組織加盟は、いまだ実現してないことも大きな課題である。

本大会は、新学習指導要領告示以後の初の大きな研究大会であった。時間数こそ、現状維持となったが、他の教科時数が大幅に増えており、相対的な縮小であり、また、中学校においては、「選択」が、授業に繰り込めないため、「教師の非常勤講師化」が進むと予想され、人材の面で根底から衰退を余儀なくされる。

これまで、改訂毎に、「要望」を行うかたちで造形美術教育団体は、活動してきたが、すでに、それらは有効に機能しないことが判明した。それらの活動に加え、今後、進展すべきは、各地域のなかで、造形美術を核としたプロジェクトを展開しながら、世間の方々に、造形美術教育の意義や価値を理解していただくことである。「世論」や「民意」の形成が、重要な鍵となる。長野県や埼玉県、栃木県などからも具体的な実践が報告された。

 一方、気になったのは、A氏の「スーパー・フラットで面白くない」という感想やT氏の「実感のない言葉が流通し過ぎている」という感想である。
 造形美術教育が、個々の子どもという身体を相手に営まれるものであることを考えると、こうした指摘は、かなり重いものである。

 協議会は、それぞれの県の先生方が、素直に実情を話され、さまざまな地域の実態などが浮かび上がり、たいへんよかったと思う。そこで、見えてきたものが、それぞれの授業のなかに反映していくし、造形美術教育の方向性を決めていく。ささやかな場ではあるが、こうした交流の場が確保されていくことが大会の意義である。
 大会を開催し、実施していくためには、多くの皆さんの協力がなければ実現できない。多くの皆さんの力の結集が、造形美術教育の明日をつくりだしていくと実感した。

19時38分「関ブロ大会通信最終回」

関ブロ群馬大会、無事に終了。

鈴石先生、矢木先生、餅先生、庖刀先生らも、応援に来てくれた。森田先生、玉置先生は立派に発表した。浜方先生、加藤先生は二日酔いだった。時任先生、本間先生は真面目に仕事をした。帰り道、学校にお土産を買い、夕暮れの関越を三人で飛ばして帰った。
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15時48分「関ブロ大会通信25」

助言者玉置先生の虫取の話から図工の話へ。

「虫の目」をもたないと虫はとれない。教師も「子どもの目」をもたないといけない。
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15時33分「関ブロ大会通信24」

吠える本間!時任!庖刀!!!

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14時03分「関ブロ大会通信23」

午後の分科会が始まった。

東京は第一分科会。森田先生の造形遊びを核とした研究発表。都図研の皆さんも応援に、参加していた。
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13時50分「関ブロ大会通信22」

南小学校の研究授業。

隣にある高崎市美術館との連携授業。
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11時32分「関ブロ大会通信21」

市内の中学校を二校視察。

金箔の授業と木工作の授業をみた。
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9時27分「関ブロ大会通信20」

高崎シティギャラリー。

山口薫の300号の作品。
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8時07分「関ブロ大会通信19」

関ブロ群馬大会二日目。

1.jpg 朝食をとって、ホテルの前でタバコを吸っていると子どもが登校していた。高崎市美術館の横の南小学校の子どもだ。二日目は研究授業で子どもの姿に触れられる。午後の分科会は、東京の発表者は、森田先生。助言者は、玉置副会長である。

23時21分「関ブロ大会通信18」

浜方〜沈没です。

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23時17分「関ブロ大会通信17」

三次会です。元気ですな〜!

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20時53分「関ブロ大会通信16」

二次会は、飲んだくれ。

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20時30分「関ブロ大会通信15」

ツーショット。

時任、本間各事務局長。
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19時34分「関ブロ大会通信14」

一日目終了後

「奥村高明先生を囲む会」
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18時08分「関ブロ大会通信13」

ホテルにて。

「さあ、飲むぞ!」(浜方)
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17時07分「関ブロ大会通信12」

来年の千葉大会の挨拶

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17時03分「関ブロ大会通信11」

謝辞

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16時57分「関ブロ大会通信10」

めずらしい山口薫の中学生時代の絵日記

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16時09分「関ブロ大会通信9」

記念講演、山口哲郎先生。

「大正期における自由画教育運動と山口薫の中学生絵日記の世界、そして暗黒の昭和」。
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15時39分「関ブロ大会通信8」

休憩時間です。

穴澤編集長。ぼく。喫煙者たち
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14時51分「関ブロ大会通信7」

文科省指導講評、奥村高明先生。

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14時33分「関ブロ大会通信6」

「大会宣言」

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14時28分「関ブロ大会通信5」

全体会の様子。

基調提案は、小山悦子先生。挨拶は、尾内実行委員長。来賓挨拶は永関全造連委員長
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13時02分「関ブロ大会通信4」

高崎市役所はでかい!

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10時57分「関ブロ大会通信3」

都県代表者会議

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9時30分「関ブロ大会通信2」

群馬音楽センター

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8時29分「関ブロ大会通信1」

いよいよ大会だ。四人で車に乗り込んだ。高崎にいざ出発。

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「HP連載 題材集あんどとシリーズ子どもと図工を考える」・・・08/11/12(水)

image003.png 都図研HPには、連載ものが3本ある。「ひつじ日和」と研究局の「題材集」、都図研ニュースの「シリーズ子どもと図工を考える」である。
 「題材集」は、研究局の若い先生方が、日頃の実践から、ピックアップし、週2回、題材の略案と実践写真を載せている。最新のものは、武田章成先生が書いている。試行錯誤している様子がうかがえる。こうしたものが力になっていく。がんばりましょう。
「シリーズ」の最新は、雨宮玄先生。こちらは連載20回目となり、図工の理論や思いを現場の視点から綴っている。こうしてみると都図研の先生方も言葉が巧みになってきていて、昔とだいぶ変わってきた。もう、たんなる「バンカラ」ではない。
 HPには、いろいろな情報がいっぱいつまっており、重層化した地下鉄のプラットホームみたいである。現在3万5千人の方が立ち寄ってくれている。菅原先生もアップたいへんですが、よろしくね。
 明日からは、高崎で、関東甲信越静地区造形教育大会群馬大会である。

「サイコ—!!」・・・08/11/11(火)

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 続けて、プライベートで恐縮だが、清志郎のDVDは、すげかった。イントロの顔の映像はショッキングだ。彼の闘病のすさまじさがわかる。それにしても、お客がいい。どの顔も待ってましといわんばかり。何十年もロック打ち込んでできた人間の姿がある。それにしめっぼくなくていいわいねぇ。うれしいさが滲み出る映像だ。

「DVD完全復活祭日本武道館」・・・08/11/10(月)

 日曜日は、8時30分に学校にいった。図工室にこもってから、上にあがると、なんと、みんな来ていて仕事をしていた。午後1時過ぎに、ぼくは学校を後にして、家に帰った。みんなまだ残っていた。
 夕方から高円寺に行って、ぷらぷらした。そして、DVDを買った。もちろん清志郎のである。みなさんにも外側と中をみせてあげよう。(大きなお世話?)。パッケージのシールもていねいにとった。
みなさん、働きすぎに注意してね。無理は禁物です。それから、清志郎くんもがんばってね。
 今週は、関ブロ群馬大会がある。
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「いかれたBaby」・・・08/11/9(日)

image001-6.jpg 原稿を書き終わって、昼寝をしてから、ネットで調べたり遊んだりしていたら、「うくる」ということばに引っ掛かって、次のような歌に当たった。「うくる」とは、ウクレレのことだった。
http://jp.youtube.com/watch?v=OcXZJbZpAuk&feature=related
image006.jpg 本家は、こちららしい。なかなかいい感じだとおじさんは思った。 
http://jp.youtube.com/watch?v=oSGah3q0wtc&feature=related

悲しい時に 浮かぶのは いつでも君の 顔だったよ
悲しい時に笑うのは いつでも君の ことだったよ

人はいつでも 見えない力が 必要だったり してるから
悲しい夜を 見かけたら 君のことを 思い出すのさ

窓の 外には 光る 星空
君は見えない魔法を投げた
僕の見えない所で投げた
そんな 気がしたよ

素敵な君はBaby いかれた僕のbaby
夜のスキマにkiss 投げてよ
ゆううつな時もBaby いかれた君はBaby

素敵な君はBaby いかれた僕のbaby
夜のスキマにkiss 投げてよ
ゆううつな時もBaby いかれた君はBaby

悲しい時に 浮かぶのは いつでも君の 顔だったよ
悲しい時に笑うのは いつでも君の ことだったよ

「美育文化11月号 柴崎裕論文」・・・08/11/8(土)

image001-3.jpg 雑誌「美育文化11月号」は、「鑑賞教育を問う」という特集。都図研の副会長、研究局長として活躍した柴崎先生が論文を寄せている。論題は「鑑賞教育の無化へ、そして比類なき体験へ」というもの。
 柴崎さんは、ここで、「鑑賞教育」を問いながら、近代における「美術」や「芸術」、「美術教育」の成立に言及しつつ、図工室における子どもたちの有り様を「溶け込んでいく子どもたち」と名づける。
 そして、「自己が溶解」するような時間・体験こそが、今日盛んに述べられるような「有用性」とは別の次元で子どもの生を深いところで支えていると主張している。さらに、このような「比類なき体験」への通路として「造形遊び」が楔となって有用に基づく教育のレトリックを相対化するとも述べている。
 柴崎先生にとって、図工の時間とは、子どもとともに生きる時間そのものであり、そこで営まれる「生」を大切にする姿勢は、柴崎先生が最近しきりに述べている矢野智司氏の「純粋贈与は、有用性に支配された社会の原理を乗り超えて、社会化や発達という理論枠では決して見ることのできない、死、供犠、歓待、エロティシズムなど、「外部」と「内部」とに関わる人間の生成変容についての新たな地平を見いだすことを可能にしてくれる通路」であるという主張とどこかリンクしている。(『贈与と交換の教育学』東京大学出版会)
 こうした骨太な図工への思考をおこなっている柴崎先生のような人が、身近にいることは、たいへん頼もしいものである。
 さて「美育文化誌」であるが、こうした造形・美術教育関係の雑誌は、わが国ではほとんどない貴重なものである。最近、この種の美術教育雑誌の購読数が少ないと聞く。最近の若い先生方も「読書離れ」なのであろうか。でも、やはりこうした雑誌がなくなったらたいへんである。若い先生方も購読してお読みになり、見聞を深めてはいかがだろうか。「年間購読」というものもあるようだ。HPは、下記のアドレス。
http://www.biiku.jp/index.html

「朝の光」・・・08/11/7(金)

image002-1.jpg 朝の光は、美しい。夕方の光は、ノスタルジックだ。
 同じ光でも、ずいぶんと異なっている。こちらの感じ方や気分もあるだろうが、それでも、朝の光は、希望に満ちている。少しは、気持ちを入れ替えて、がんばりな、とその日を先導してくれている気もする。ぼくは精密なマシンではないから、時たま、空を見上げて、こんなことを思いながらでかけるのであった。

「文京区図工部会あんどケント同盟あんど日本教育新聞」・・・08/11/6(木)

image002.jpg 水曜日は、駕籠町(かごまち)小学校(平岩先生)で文京区の図工部会があった。「区展」「都展」「教員展」の打ち合わせ、12月と1月の研究授業の検討会を、グループ毎にわかれておこなった。
 昨年、文京区は少人数ながら協力して、都図研大会と関ブロ大会をおこなった。「地道に、気張らず、楽しみながら、活動する」の姿勢が、とてもいい図工教育の土壌を形成しているのではないかと思う。
 図工教師の連携は、まず、区市町村のレベルがもっとも身近なもので、これが、充実していないと、図工教育の持続もおぼつかないであろう。
 若い先生方も率先して参加し、腕を磨くと共に、図工を盛り上げてください。
image004.jpg それから、榎本先生とぼくしかタバコは吸わないのだが、その榎本先生が、先月すすめた「ケント メンソール」に移行しつつある。「ケント」は1ミリグラムだが、刺激が強く、いい感じなのだ。榎本先生は現在「ショートホープ」を吸っているが、50パーセントは「ケント」に移行しつつある。これで「ケント同盟」は、鈴石先生、榎本先生、そして、ぼくと3名になった。(注:ケント同盟になっても特典はもちろんない)
 家に帰ってから、先日インタビューを受けた「日本教育新聞」の藤木さんからきたメール原稿を手直しした。「学習指導要領」改定に関する記事である。短い記事であるが、精一杯、図工教育のよさを話した。機会があったらご覧ください。(でも何月号に載るのだろう。聞き忘れてしまった)

「研究大会が差し迫ってきた」・・・08/11/5(水)

 都図研西多摩大会の編集局長、有馬先生から、大会研究紀要の最終原稿が、送られてきた。ざーと2回読んだが、結構、校正部分があった。金曜日には、実行委員会があるが、学校の行事でぼくは参加できないので、原稿は郵送する。編集作業というのは、なかなか根気のいる仕事で、校正すればするほど、誤字を発見する。
 HPのTOPの右上の電光掲示板によると「大会まで37日」とある。いよいよ入稿・印刷だと思うが、編集局の皆さんにがんばっていただき、よい研究紀要を作成してほしい。
12月12日(金)には、都図研会員の皆さんには、瑞穂第一小学校においでいただき、都図研大会を盛り上げてほしい。
image001-3.jpg 編集作業というと、現在、都図研の各部署で、3つの編集作業に取り組んでいる。まずは、「教育課程検討委員会」の答申の冊子である。平田委員長を中心に8Pの小冊子を編集し、12月に皆さんに配布する予定である。
 また、1月23日(金)には、新宿の落合第六小学校で「都図研60周年記念式典」が開催され、研究授業と全体会がおこなわれるが、「60周年記念誌」の作成も現在進んでいる。玉置副会長が、編集をおこなっているが、多くの方に執筆を依頼しているので、原稿が集まりつつある状態のようである。
 さらに、本年度より、都図研の「活動報告書」は、都図研全体の単年度の活動を集約するような編集にしていく方針で、すすめたいと考えている。が、まだ動きだせない状態である。そろそろ動きださないと間に合わなくなる。
 編集関係の仕事は、地味で目立たないが、都図研の活動の大きな基盤をつくっている。
10年、20年、30年たつと、これらの記録が生きてくる。冊子は、現在の研究でもあるが、未来の都図研会員に向かってのメッセージでもある。

 来週の11月13日(木)、14日(金)は、「関東甲信越静地区造形教育研究大会・群馬大会」がある。都図研でも都県代表者会議、研究発表(森田先生)、助言者(玉置先生)などに参加し、大会を盛り上げたいと思う。

「谷川俊太郎プロジェクト準備会」・・・08/11/4(火)

image002-1.jpg 月曜日は、CCAAで、谷川プロジェクトの準備会があった。時任先生、本間先生、高橋香苗先生、庖刀先生、杉山先生、加藤貴子先生が、祝日にもかかわらず集まって、作品の選定や参加児童、当日までの段取り、当日の計画などをおこなった。本間先生は、金、土、日と展覧会なので、休みなしで働いている。他の先生も展覧会が間近に迫っているので、忙しそうである。そう言えば、横内先生が、すうっと裏口から入ってきて、すーっと消えていった。「何かあったら学校にいますので」と作品をおいて学校に帰って行った。
このプロジェクトは、都図研が、2年越しで谷川さんとかかわり、やっと実現するものである。子どもの「絵」をみて、子どもが「詩」を書くというもの。指導は谷川さんが行う。どんな風になるか、はじめての試みなので、楽しみである。11月29日がワークショップであるが、残念ながら一般公開はしない。まとめをみなさんに形にしてお見せする所存である。

「横浜トリエンナーレ 三渓園」・・・08/11/3(月)

image002.jpg 日曜日は、まだ、チケットが有効であったので、横浜トリエンナーレの会場である「三渓園」に出向いた。実業家の原三渓(本名、富太郎。1868〜1939)が、つくった庭園で、広大な土地に重要文化財などが数多く移築してある超リッチなすごい庭である。
 さて、作品であるが、中谷芙二子の「雨月物語」という自動装置で霧を発生させる作品は、三渓園の庭の自然と溶け合って、幽玄な空間をつくりだしていた。光が差し込む美しさが、来ていた人に場の変化の面白さを感じさせていた。特に、見に来ていた子どもたちは、素直に喜んでいた。
 内藤礼のゆらゆらっとたなびく作品は、茶室にひそやかに仕掛けてあった。観客は、茶室の外から部屋をのぞき込みそのささやかなゆれが、周囲に溶け込みながらも異和を生み出している様子に見入る作品となっていた。
image004.jpg トリエンナーレ関係の作品は、三渓園では、たいへん少なく、作品の展示会場というよりも「三渓園をちょっとお借りして・・・」という感じであった。
 原 三溪の履歴をみてみると、三渓は、岐阜県厚見群佐波村生まれた。幼少の頃から絵、漢学、詩文を学び、東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学。原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し原家の家業を継ぎ生糸輸出を始めるなど実業家として成功をおさめた。
三溪園は1906年(明治39)公開され。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されている。すごいことに、重要文化財が10棟もある。
また、日本画家の育成と支援をおこない、前田青邨の「御輿振り」、横山大観の「柳蔭」、下村観山のimage006.jpg「弱法師」など、近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれたという。原 三溪は、芸�術家のパトロンでもあったのだ。
昔の金持ちは、まったくやることのスケールがちがう。
 あれ、いつの間にか、トリエンナーレは飛んでしまい、三渓園を堪能していた・・・まあ、それもいいのではないでしょうか。 

「赤ひげ」・・・08/11/2(日)

image005.jpg BSで黒沢明監督の『赤ひげ』をみた。「小石川養生所」の医者の話である。
 医者というステータスを目指すエリートの若い医者が赤ひげの養生所で過ごすうちに、はじめの不満に満ちた態度や気持ちが、市井の人々のそれこそ貧しい生活に触れる中で、浄化し、医者としての使命にめざめていくストーリーである
 それにしても、庶民の生活は困窮している。そして、屈折もしている。が、それでも、人のやさしさに触れることで他者に開かれてゆく。その開かれ方が、自分を変容させていくのであった。この点は、医者と教師は、同じように人間を相手にした仕事で共通するのではないだろうか。
 黒沢の映画作りは、精緻を極めている。ひとつひとつのカットが、レンブラント、ラトゥールなどの17世紀の絵画を思わせるようなつくりで、人間の光と影の陰影を映し出しているし、瓦礫や風鈴、雨、井戸などの大道具、小道具も実に精妙につくられている。
image006.jpg 役者も実にはまっていて、三船敏郎は、黒沢映画によく似合う。マッチョな役者だ。そればかりか、わき役も実にすごい演技をしている。むしろわき役が見事と言うべきであろう。
 二木てるみの人を拒絶する「眼光」(本当に光を当てて光らせている)が、徐々に溶けていく細かな演出もすごい。
 185分という長時間を感じさせない映画でもあった。40年も前の映画の「泥臭いヒューマニズム」が強い喚起力をもつと感じられるのは、現在の世界がこの映画の世界と類似して、金や利権などの欲得ばかりが目立つ世相であるためである。

「『小学校学習指導要領解説図画工作編』を読む5~教育課題/学力格差~」・・・08/11/1(土)

 金曜日は、堤小学校(南育子副会長)の展覧会をみた。展覧会は、たいへんすばらしいもので、南先生の奮闘が随所にみられるものだった。体育館の中央には、手づくりのパネルを組み立てた「ホワイト・キューブ」というコーナーがあり、仕切られた区画に、高学年の児童がひとりひとり「個展」をおこなっていた。パネルは、百数十枚あり、南先生がせっせと自分で塗ったという。すごい努力である。そこには心身を図工教育に傾倒する図工教師の営みを垣間見ることができる。
 堀口先生や高橋香苗先生も来ていらして、鑑賞した後、雑談をした。そこでの話だが、昔だったら、指導法や題材について話題が盛り上がったのだが、近年は、それだけではなく、教育を取り囲む状況の変化のようなものが主な話題となってきているのを感じたのであった。
それぞれの地域の学校や子どもの個別的な事情や条件・・・例えば、子どもの学力、荒れ具合、保護者の様子、教員の休職、退職など・・・である。
 学習指導要領の「課題」の中に、「OECD(経済協力開発機構)」の「PISA調査」などに基づいて、「①読解力、記述式問題、知識・技能の活用、②成績分布の拡散、家庭での学習時間、学習習慣・生活習慣、③自信の欠如、将来の不安、体力低下など」があげられている。(「『小学校学習指導要領解説図画工作編』を読む2〜第1章総説〜」08/10/22(水)をみてね。)
image001-3.jpg これらの「教育課題」は、「教育問題」でもあるが、実は「社会問題」でもある。ここに、現在の教育問題の特徴がある。
例えば、「教育格差」に関して、お茶の水女子大学の耳塚 寛明教授は、現状の教育格差をさまざまなデータをもとに、「メリトクラシー(業績主義、人々の地位であるとか富といったものが、能力に努力を加えた業績に基づいて配分される)」から、「ペアレントクラシー」(親の富と願望、期待が形づくる選択が物を言う社会。子どもたちの学力というのは、親の富と願望を加えた親の選択によって決まっている。)に移行しつつあると述べている。
(朝日・ベネッセ共催シンポジウム「教育格差をどうする」2008年9月27日、有楽町朝日ホール)
LinkIcon朝日新聞シンポジウム採録

 「ペアレントクラシー」と言われる状態は、子どもを包み込む経済資本と文化資本がすでにスタートのはじめから存在していることを意味している。子ども自身では、なんともならないようなこの不平等さは、なんとも腹立たしいし、是正されるべきものだ。
 ぼくたちは、現場の図工教師であるが、子どもたちを取り巻くこのような状況の変化が、授業そのものにも影響を与えていることを意識しなければならない。
また、ここで述べられているような「経済」や「文化」的な環境の格差が、子どもにかかわるならば、公教育において文化的な環境を体験できる図工の授業の拡充を一層図らねばならないと考えてしまうのだ。

●資料「お茶ノ水女子大学HP」より。
http://www.ocha.ac.jp/topics/h181106.html
(1)「算数の学力テスト(100点満点)の結果と保護者の年収」と(2)「家庭での学習時間と保護者の年収」

算数の学力テスト(100点満点)の結果と保護者の年収

  • 年収500万円未満の家庭の子どもの平均点:42点
  • 年収500万円~700万円未満では:43点
  • 年収700万円~1000万円未満では:54点
  • 年収1000万円以上では:66点

年収500万円未満の家庭の子どもの学習時間

  • 30分以内:67%
  • 1時間~1時間半:23%
  • 2時間以上:10%

年収1000万円以上の家庭の子どもの学習時間

  • 30分以内:24%
  • 1時間~1時間半:39%
  • 2時間以上:37%