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都図研は今年60周年

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「今年もありがとう・自発的造形遊びの痕跡・モナリザは怒っている」・・・08/12/31(水)

◆いよいよ大みそかになった。今年もいろいろ多くの方々にお世話になり都図研の活動も充実したものであった。改めてスタッフの皆さんに感謝したい。また、「ひつじ日和」は、雨の日も風の日も失恋の日も飲んだくれた日も担当の菅原先生にアップしていただいた。ありがとう〜〜〜!!!
 創立60周年の今年は、例年にもまして多くの事業を展開できた。研修局研修会、研究局公開授業、都図研ニュース、HP、全造大阪大会あんどInSEAの発表、ティーチャーズワークス展、谷川俊太郎プロジェクト、教育課程検討委員会冊子作成、都図研西多摩大会、来年度役員選挙、さらに、3学期には、60周年記念公開授業、都展が待ち受けている。事務局の皆さんも地味な仕事をありがとう。都図研が運営できるのも皆さんのおかげだ。 新学習指導要領が告示された現在、次の改定に向かってさらに図工教育の結集も図っていかねばならないですね。

image002.jpg◆昨日は、おとといに引き続き、散歩にでかけた。板橋区の境界近く、練馬区の開進第四小学校の近くの公園で面白いものをみつけた。水場のところの地面を掘って、水を流し、木の枝でせき止めて遊んだ跡だ。(水を出すところも昔の井戸風でいい。)自発的な「造形遊び」の痕跡だ。この寒いのによくやるね。というより、こうした遊びは、子ども本来のものだろう。寒くてもなんでも面白ければなんだってやるのが子どもだろう。(思い起こせば自分もよくやった。)「造形遊び」という言葉は、今回の指導要領で正式に表現されたが、やはりこうした痕跡を発見すると子どもの造形活動を考えていく上でポイントとなるものであろうと実感した。

image004.jpg ◆・・・と、ここまで日記を書いて、ピンポンとチャイムが鳴った。アマゾンから本が届いた。
いつも都図研がお世話になっている文科省の奥村高明先生の本だ。『モナリザは怒っている!? 鑑賞する子どものまなざし』(上野行一、奥村高明著、淡交社刊、2008年、DVD BOOK、本体3800円)。アメリア・アレナスからはじまる「対話型鑑賞」を起点に、鑑賞授業を映像とテキストでまとめたもの。来たばかりでまだ見ていないが、お正月はこれをみながら過ごそうと思う。

 ◆それでは、皆様、来年もよろしくお願いします。

「冬休みの散歩」・・・08/12/30(火)

image002-1.jpg やっと冬休みになった。とたん、体が動かない。というか、体の節々が固まって、動かない。腰も痛いし、首もごりごりする。明らかに運動不足あんど、太りすぎだ。
 確か、会長になる前は、もっとスマートだったはずだし、もっと体も動いたはずだ。明らかに、ストレスだろう。本間理事長のように、すばやく動き回りたいというのは、欲張りすぎだが、せめて、もう少し、なんとかしないといけない。と思って散歩した。
 少し寒かったけど、くねくね歩いて、池袋についた。4キロ弱かな。帰りは、日がくれたので、もちろん「電車」で帰った。
 収穫?は、近くの神社でひろった「実」。長さは、20センチ以上もあるさやのなかに種が入っている。いったい、何という木の種だろう?種はほんと面白い。

 家に帰ってメールをみると・・・・玉置先生は、記念誌の入稿を終えた。ありがとう〜。南副会長は60周年の公開授業の準備について(ちなみにインフルエンザだそうだ。お大事にしてください。)岡田研究局長は、活動報告書について(またまた玉置先生すません。来年は紀要担当を補強しましょう。)横内先生は、原稿サンプルについて。
 散歩したせいか、6時半には寝てしまった。朝、2時に起きていろいろと原稿などをこなした。もちろんこの「ひつじ日和」も。
 今年も、あと二日。みだれきった本や書類も整理しないといけないが・・・・。

「図工だいすき子ども美術展冬展・会場当番」・・・08/12/29(月)

image005.jpg 日曜日は、午後から会場当番であった。
 展覧会の運営、実施は、その労力に比して、報われることはいままでの経験からして少ない。というか、過大に期待しすぎてはいけない。
 今までの経験からいうと、同業者(図工教師、図工教育関係者)の参観は、極めて少ない。言うなれば、「キリンビール」の展示会に「アサヒビール」はこない、という感じだろうか。図工教師は、ひとりひとりが、個別営業の社長のようなものだから、そこにはライバル意識のようなものもあり、他社の事業には関知しないといった状態もあるのだろう。
 けれども、「業界全体」が、沼の中に沈みかけている現在の状況では、ネットワーク化が必要だと思う・・・・などと、会場当番はひまなので、夢想していたが、展覧会には、いい光景がある。
 それは、「写真」のように家族で作品を鑑賞している場面である。作品や展覧会は、コミュニケーションツールであり、観者の参加をもって完結すると言える。
 誰もいない「ホワイトキューブ」のなかに、ただ、たたずんでいる作品というものは、コミュニケーションの連関のなかで作用することによって生命を与えられる。これは、会場当番をしていて感じる実感である。

image006.jpg また、同業者のなかにも熱心なひともいる。通りすがりに部屋をのぞくと、横道広樹先生が丹念に作品をみていた(写真)。
横道先生は、研究局の中堅。これからの研究を背負っていく人材でもある。やはり研究熱心だ。研究熱心と言えば、吉岡琢磨先生や杉山裕子先生も参観されていた。吉岡先生などは、「久保貞次郎美術教育論集上・下巻」を購入していった。

 思えば図工教師は、面白い仕事なのだ。個人の興味に従って、研究を深め、仲間で共同研究し、自分の考えを比較、検討し、それが、現実の授業の中で、有効なものかどうか、検証できる。(そして、給料ももらえる)
 その他、名前はわからないが、若い先生で展覧会を鑑賞している人もいる。こうした純粋な個人の動機でこの場に来ている人は、自分の中にもちかえるものも多いだろう。

 今日の会場当番は、辰野美奈子先生。展覧会出品者の紅一点。女性の先生方はいろいろ質問してみてもいいかもしれない。女性には女性の問題というのもあるだろうから。

「図工だいすき子ども美術展冬展・鑑賞レクチャー」・・・08/12/28(日)

image002-2.jpg 昨日は、冬展の「鑑賞レクチャー」が10時からおこなわれた。が、さすがに参加者の出足が遅い。休日の午前は、図工の先生の気質からして無理かも?と思った。でも、受付をしてくれた「三人娘?」もいて、ありがたかったです。アリガトー。

 10時を過ぎて、ぼつぼつ人が集まった頃合いを見計らって、鑑賞レクチャーの会をはじめた。鈴石先生に申し出て、司会をさせていただいた。コンセプトはプラトンの「問答法」あるいは、「指導者対観客のボクシング」。
 各指導者が10分程度話して、観客が質問、意見、攻撃をおこなおうというもの。年の瀬である。言いたいことを言って、新年を迎え去年のことは水に流す。という気前のよい会にしたかったが・・・。

 一番手は、中村隆介先生。子どもの作品の力強さは、最強だ。はじめての6年生の作品の子どもに接する緊張感や作品の背後にある子どもの思いを、感想文などをもとに示してくれた。強い造形性の背後には、子どもがしっかり息づいている。そこを見逃してはならない。
image004-1.jpg 二番手は、柴崎裕先生。牛骨の絵や鑑賞の絵、また、総合の時間にかかわって、子どもが自分の興味に従って、自分の世界を広げていく様子を熱く語ってくれた。これまた、作品の背後には、実に深い子どもの動きがあった。観客からは「なぜ牛骨か?」と質問。「子どもの食なども考えている」と現代の子どもの自然への感覚も射程にいれて、モチーフを選択していた。たんに面白いからではない。

 三番手は、時任先生。彼は実にシャイだ。何を語ればいいかわからないといいながら、実践について語ってくれた。既成の台はきらいで、作品を子どもが自分で「台座」までつくって展示すること、子どもに向き合う時の緊張感で眠れないこと、そこには実に丁寧に向き合う教師の姿があった。柴崎先生曰く、時任さんと自分は、「結論」は同じになるのだが、その「過程」がぜんぜんちがう回路をとおってそこに至る感じで、面白い関係である。と二人の質の違いを話された。ものごとは、表面で語ってはいけない。

image006-1.jpg 四番手は、加藤啓先生。加藤先生の指導は、あるがままの子どもそのものを大切にしようという思想で貫かれている。ほぼみるからに、作品化されていない作品が、壁面を埋め尽くしている。前三人の造形的に洗練された指導、作品とは正反対のものだ。そこには、教師の「しかけ」をできるだけ排除して、子どもの表現に向かおうとする教師の姿勢がある。ぼくは「造形主義」と「子ども主義」を対置させて話を盛り上げようと考えたが、ほんとは、二元的に腑わけできるわけではなく、その二点は、入れ子のように組み込まれていて、どのようなアプローチで、どのような意味が生成されているかが問題である。
何十年にもわたって、実践してきた本年ご退職の加藤先生の生きざまがそこに詰まっていた。

 五番手は、横内克之先生。六番手は、高村弘志先生。
 ここまで「造形主義」と「子ども主義」を対置させ、話をすすめてきたが、横内先生は、「子どもの育ちと造形教育」の関係を明示した都図研最初の人だぼくは考えている。
今回の展覧会の三つのコンセプト「遊ぶ」(中村・柴崎・時任)、「つぶやく」(加藤・鈴石・辰野)、image008.jpg「つくりだす」(横内・高村・辻)のテーマを解説しながら、まとめてくれた。この部屋は、横内先生が、1年から6年までの子どもの変容。辻が、28年間の指導の変容。高村が一クラス全員の題材における個々の子どもの変容をいみじくも提示していた。
横内先生の秀逸さは、「ことば」への着眼から、絶えずわれわれの行為、活動を捉えなおし、弁証法的に発展させようとする姿勢にある。それは、ひたむきさと誠実さへとつながっている。
 文科省の奥村高明先生も遊びに来ていらしたので、ひとこと、励ましのおことばをいただいた。

 最後に、鈴石先生が、高森 俊氏の『子どもの絵は心』(創風社刊。1932年千葉県に生まれる。1952年創造美術教育協会に入会。ホーマレイン『親と教師に語る』により子どもの心理を学ぶ。1957年多摩美術大学(洋画科)卒業。)を片手に、そこからの引用を朗読され、終了した。(というもの、おとといまで幻の「久保貞次郎コレクション展」をCCAAでは開催していたから)
終了は12時ちょっとすぎ。皆さん約2時間熱心につきあっていただきありがとうございました。展覧会は31日まで行っています。元旦から3日まで休館し4日から、開館します。ぜひお時間あるかたご参加ください。

「図工だいすき子ども美術展・冬展」・・・08/12/27(土)

image003.png 金曜日は、CCAAで、「図工だいすき子ども美術展冬展」の搬入作業をおこなった。終業式が終わった年の瀬に、年休をとって参加だ。
 3部屋を9人で区分けして、展示した。自分のスペースは、自己責任の編集となる。中村隆介、柴崎裕、時任勝先生のところは、実に濃い。ぶっとびである。このおじさんたちは、やはりただものではない。
 加藤啓、辰野美奈子、鈴石先生のところは、「子どものつぶやき」がテーマだが、加藤啓先生は、反造形主義、新?生活主義?、心理主義に徹していて、好き嫌いは別にして、説得力がある。こういう感じの指導をする人は、ほとんど現在いないのではないか。退職まじかの加藤先生、渾身の展示である。
 もうひとつは、横内克之、高村弘志先生、辻の三人。横内先生は、教育的にまじめに実践に取り組んでいることがよくわかる。よくみるといろいろ工夫していますぞ。そこには今を感じる生々しさがある。高村先生は、いつも遅れて現れる。そして、数人の弟子を引き連れている。不思議なひとだ。
題材は、定番の紙人形。こうしてああして、心材に紙を丸めてくっつけ立たせるもの。一学年集め、モニュメンタルに飾る。
 それぞれ、アクの強いおじさん、おばさんたちは、打ち合わせをしなくても、さすが、ベテランだ。それなりの展示を心得ていて見せ場をつくる。
 「こどもの城」に比べても、それ以上に質の高い展覧会になっていると思われる。なかなかいい企画だ。(若い先生組は、反発するかもしれないが・・・)やはり独自性のようなものがそこにはある。 
お手伝いのボランティアも来てくれた。上野先生、鈴木先生、横山先生、田中明美先生、高村先生の弟子3人の方々、休みにもかかわららずお手伝いいただきありがとう〜!!
 その他、搬入に合わせて「編集会議」もあり、玉置先生、高橋香苗先生、大畑先生が、いらした。皆さん、まだまだ冬休みではないですね〜。
 今日27日(土)は、10時から、鑑賞トークがある。それぞれの先生方の面白い話が聞ける。ぜひご参加を。

「久保貞次郎コレクション展あんど冬展あんど60周年記念誌」・・・08/12/26(金)

image002-1.jpg 昨日は、終業式。午後休暇をとって、CCAAに「久保貞次郎コレクション展」をみにいった。会場は、たいへん静かで人の入りがすくなかったが、幻の児童画は、透明感があり、気品があった。この展覧会は、鈴石先生の大発見で、歴史的な資料価値がある貴重な展覧会だ。貞次郎の二女、翠さんが、保管していたものだが、70年の時の空白から出現したとは思われない生き生きとした作品群であった。(会期は終了したが、今日26日金曜日午前10時から撤去なので、それまでにいけば、みることができる。みたほうがぜったいによい。と断言しよう。見にいけなかったひとはカタログ(800円)と貞次郎のテキスト(200円)を鈴石先生が作成した。ぜひ購入しよう。)
 ここには、現代の私たちが通常「子どもの絵」と呼んでいる、その呼び方そのものを形成させた原器・土台が存在している。書物でも、普段の授業研究でも、こうしたものをみていないと、ほんとの意味で、図工・児童画の研究は深まらないし、理解できないと思う。
 会場では、鈴石先生と東山高志さん(発達論で著名な東山明先生のご子息)が、タイの津波救援事業の相談をしていた。さっそく3月にタイにいくらしい。
 筑波大付属の西村先生、岡田研究局長も来ていらした。さすが、研究熱心なひとはみに来ている。

image003-1.jpg CCAAを後にして、池袋でPCのインクとコンパネを買い、家に帰って、「冬展」の準備をした。作品のコメントを書き、コンパネに貼った。結構てこずる作業だ。今日は10時から搬入だからそれまでに間に合えばいいが、おせおせの仕事ぶりは、自分で感心しない。今日は作品を学校に取りにいって、それからCCAAに搬入する。腰に要注意。

 てこずる作業といえば、「60周年記念誌」の編集も98%できたようだ。頭痛を押して最後の追い込みに入った玉置先生お疲れ様でした。もうちょっとですね。ここまで、一人で編集してしまう能力は、ものすごいものだ。都図研を大きく支える原動力である。ほんとありがたい。

「西多摩大会分科会記録、刺激的なひびのこづえさんの発言」・・・08/12/25(木)

 昨日は、西多摩大会の都図研研究局の分科会の記録を黒澤先生がメールで発信していたので読ませてもらったがなかなか「刺激的」なひびのさんの発言が新鮮だった。
 ひびのさんは、アーティストとして激烈な競争社会を生き抜いているが、そんな生きる姿勢やつくる姿勢がにじみでるような発言が、そのふんわりとした作品の背後にあることがわかって興味深い。
 「雰囲気」で私たちは、授業を語る場合が多いように感じるが、ものをつくる精神性、方法、社会性、曖昧さの否定・・・など、アーティストの立場からのきびしい意見がそこにみえる。引用してみよう。


○特に深澤さんの授業は、もっと内密な精神的なところに入っていくのに、あの騒がしさをもう少し演出してあげる方法を考えないと、一見かわいいものはできてくるのだけれど、小学校一年だからまあいいや、というところで終わっている気がします。もっと彼らはつくる力を持っているので、もっと内密な精神的なことを最終的には出来上がるのかなと期待を持ちつつ、途中でちょっと無理かな、と思ってみていました。

○なんか私はもっと真剣に絵をかくことを最後までやっちゃってもいいと思うんですよ。子どもたちが楽しいか楽しくないかは笑っていれば楽しいかというとそうではなくて、やっぱり最後に出来上がって、いいものができた、ということが自分でもわかるはずなんでそんなに甘やかす必要はないかなと思います。

○つくったものが、その子の生活の中に入っていくような何かを考えてあげることが大事じゃないかと思うんです。私は結局ものづくりをして仕事しているんですけれど、やっぱり生活に結びついたり、社会に結びついたりする面白さがあります。なんかそういうことも、どなたかが図工は理論的でもないし、社会と結びついてもいない感じがするっていったけれど、決してそうじゃなくて、本当はみんなこれが社会に結びついているんだと認識した上で指導していかないと、やっぱり子どもも面白くないんですね。

○私はさっき、雨宮先生がやっていたことがすごくすきなのは、私でもだれでも、0からは創造できなくて、やっぱり私たちが学ぶのは自然しかないんだと人がつくったものから学んでも、それ以上のことはできなくて、自然から学ぶことは、いくらでも限りなくあるんですね。そのため、デッサンをして、バランス感覚を磨いたりですとか、写生をして自然の中で学んだりして、そういう事をやるためにやっていると思うんですよ。

○特に私たち、自分が仕事をする時に一番よくないのは、最初に思いついたことをやりながら変わっていくというのが一番だめな仕事のパターンなんですよ。やっぱり、最初に思ったことをきちんと最後までそれももっといい状況に仕上げていくということが一番大事なことです。


 ・・・・と、こんな風である。(前後の文脈から切り抜いているので意味が変化しているかもしれないのでご注意ください)これを、さらに現場的な視点でどのように解釈するかでまた意味もちがってくる。研究局の皆さんは「子どもの夢中」というテーマに結び付けながら、子どもが表現する意味についてさらに考察していただければと思う。

「夕方の高円寺お散歩」・・・08/12/24(水)

 昨日は、記念誌の校正原稿に目を通して、午前中に玉置先生に届けようと思ったが、母親を病院の送迎に送りだして、また寝たが、寝過して、さらにお客もきたので、午後に届けた。が、あいにく不在で、郵便ポストに入れた。一応メールをしておいたので、気づいたであろう。玉置先生、よろしくお願いします。

image001-1.jpg さて、夕方からは、久しぶりに高円寺を散歩した。いつものレコード屋で、ディランのDVD「ノー・ディレクション・ホーム」(マーティン・スコセッシ監督、2005年)を買った。まだみていない。早く見ないとね。
 さらに、頭のつかえそうな小さなぎしぎしした階段をのぼって上がる「えほんやるすばんするかいしゃ」という絵本専門の小さな本屋をみつけたので、「もたいたけし」の『キャラメルぼおや』というマンガを買った。この本は、吉祥寺にある「トムボックス」という絵本専門店の土井章史さんが発行しているミニ本で、奥付をみると七刷で、総発行部数は、2700だから、結構売れていると思った。だいたい、図工の専門書は、1000部売れるのに何年もかかり、二刷することはまずあり得ないから、それに比較するとミニ本にもかかわらず売れていることになる。もたいたけしは、無頼の画家といった感じの作家で、『セロ弾きのゴーシェ』の絵本がいい。
image006.jpg さらに、近くに「天米(てんよね)」というてんぷら屋があり、そこに入って「あなご天丼」(1800円)を食べた。おじいさんのつくる天丼はなかなかの感じで、タレが、色に比して甘ったるくなく、いい感じなのであった。こんなタレの味は、いままで味わったことがない。素朴な昔の味がした。
 とゆーことで、明日は、終業式。あさっては、「図工だいすき子ども美術展冬展」の搬入である。準備をしないといけない。

「都図研創立六〇周年記念誌の校正」・・・08/12/23(火)

image002.jpg 月曜日は、学校の忘年会が、「椿山荘」であった。が、終了後、早々に退散し、家で、「60周年記念誌」の校正をおこなった。校正原稿は、日曜日に玉置先生からメールで配信された。校正後、25日に印刷所に入稿するということなので、時間がいよいよ迫った。24日には玉置先生が、最終入稿の書き込み原稿を完成させるわけだから、それ以前に校正の指示が皆さんから届いていないとできないわけなのでであった。
これは、1月23日の「東京都図画工作研究会創立60周年記念公開授業あんどパネルディスカッション」(新宿・落合第六小学校、13時30
分〜。文科省奥村高明先生特別授業公開。参加費無料。東京以外からの参加大歓迎。地方から休暇をとって見に来る方もいると聞く。)の際に、まずは、配布される。
 50周年から、60周年までの10年間を中心に都図研の活動や研究の流れを正面にすえた構成で、これまでの、また、現在の都図研の活動を俯瞰し、わかりやすく理解できるものとなっている。
 都図研会員の皆さんや図工教育にかかわる皆さんにとって、重要な資料になるであろうし、「印象的な判断」(これは文学用語では「印象批評」といって批判されることばでもあるが)や細かな局面でのかかわりや知識不足から、ご理解いただいていない諸氏にとっても、都図研の活動に関して理解するための重要な参考文献となるだろう。
(紙面の関係や期間、スタッフの関係でこぼれた側面も多々あるだろうが、それらについては、今後の課題で、補っていただける人員と機会の出現を期待したい。むしろ、都図研自身の内部で、歴史研究や制度研究は、これまでなかったといっていいのかもしれない)。
 とにかく、この日記を書いているのが、火曜日の午前三時なので、一応、今日の午前中までに、玉置先生宅まで届け、祝日の今日に玉置先生が、こころよく直しができるようにしたいが、玉置先生は、よきパパなので、きっと直しは、夜中になり、「眠気覚ましドリンク」のお世話になってしまうのであった。
 「表紙・裏表紙」は、大畑祐之先生が、これまた、夜中に作成してくれた。もちろん大畑先生もよきパパである。

「日曜日・都図研・サッカー」・・・08/12/22(月)

 日曜日は、土曜日ほぼ一日中寝ていたので、午前3時に起きて原稿を書いた。8時なって、風呂に入り、9時に会議に出かけた。
 雑談のなかで、Y先生は、「都図研大会よかったですね。学生も喜んでました。専科の先生の大会はまたちがう感じですね」。「最近は、都図研も指導案の最初に、ちゃんと評価規準が書いてあるからびっくりしますよ」とA先生。Y先生も「そういや、昔、来た時は、びっくりしましたは。面白けりゃいいじゃん。っていう感じでしたよね」と、最近の都図研の変貌を肌で感じているらしい。
というか、ぼくとしては、おこなっていることは、同じだが、ある一定のルールを介して、説明を果たすと、全国レベルのコンタクトがとれるということなのだろうと考えたのだが・・・・いやむしろ、もっと図工教育の実態は、萎えていて、「指導要領」をもっとも確実に、ほぼ、どの学校においてもおこなっているのは、東京(都図研)だけかもしれないと一方で不安がわいた。
 3時過ぎに会議が終わり、Y先生は、横浜にすっとんでいった。「サッカー」をみるためだ。
 家に帰るとさすがにうとうとして寝てしまったが、いつの間にかサッカーがはじまっていた。クラブチームの準決勝と決勝をおこなっていた。
image001-1.jpg 最近は、ぜんぜんみないので、よくわからなかったが、応年の名選手ボビー・チャールトンも見に来ていて、「マンチェスター・ユナイテッド」が優勝した。
 実は、ぼくは、もとサッカー少年で、中学、高校とサッカー部にいた。本間先生、雨宮先生、吉岡先生などは、今もサッカーをおこなっているという。(すげーなーと感嘆!)彼らのサッカーは、「現代のサッカー」で、ぼくのは、「近代サッカー」らしい。なんせ「WM」のシステムしかわからない。「4・3・3」とか「ツートップ」とかの現代システムは全然わからないのであった。(注:えーと、これは、フォーメーションのことで、これによって選手の役割や機能、戦術がかわってくる)。
 それで、ぼくは久しぶりにサッカーをみたわけであるが、サッカーの動きというのは、攻守が形式的に野球やアメフトみたいにきまっておらず、絶えず流動的で、ボールを中心に、「網」のような関係が、絶えず変化していくようなところが、面白いのであった。つまり、関係が変わっていくのであった。
 それは、きわめて組織的なものであるが、単に機械的なものではない。そこには、「偶発性」によって、関係に破れ目が生じるのであった。
 例えば、興奮して相手にひじを食らわして「退場」させられたり、転んで相手にパスが渡ったりと、絶えず関係をくずしてしまうような出来事が生じるのであった。
 「得点」などというのは、均衡した関係に破れ目に生じる決定的出来事であるのだ。どうやってその破れ目をつくるかがカギだが、いろいろな局面が無限にあり、その点が、スリリングで面白いのであろう。
 そこでの技術は、足が速い、ボールコントロールがすごいというようなこともあるが、そうした技術をゲームや試合状況に合わせ、最善の選択をおこなうということも「技術」なのではないだろうか。
 図工の授業も、子どもや題材や環境などの関係の網の目のなかで、いかに選択、判断し、おこなっていくかということが、もしかして「指導力」ということなのだろう。サッカーをみていてふと思った次第である。
 それから、夜はメールが飛び交い「60周年記念誌」や「派遣依頼」や「冬展」などについて、皆さんせわしく動きだしている。今週はいよいよ終業式であるが、都図研役員の皆さんは、「師走」のごとく働いている。ありがたい。感謝。

「HINOKIO(ヒノキオ)」・・・08/12/21(日)

image001.jpg 土曜日は、オフで、朝4時に起きて「ひつじ日和」に「アシモ」のことを書いていたら8時過ぎになった。以後、うつらうつらと眠りつづけ、いつものようにTVをつけると、アシモのようなロボットの出てくる『HINOKIO(ヒノキオ)』(2005年公開、監督秋山貴彦)という映画をやっていた。アシモのことを書いて、すぐさまロボットの映画に出くわすとは、こういうのをシンクロ二シティ(共時性)というのだろうか。

(シンクロニシティ(英語:Synchronicity)とは意味のある偶然の一致。非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された独: Synchronizitätという概念の英訳である。日本語訳では共時性(きょうじせい)とも言う。何か複数の事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見做す。

http://ja.wikipedia.org/wiki/シンクロニシティ
 病気で不登校のサトルが、遠隔操作のロボットで学校に行くという設定なのだが、こうした設定は、ほぼ実現しつつあるロボットの可能性であろう。
こうなるともちろん戦争にも使える。映画でももともと戦争のために開発されたものであることが、明かされる。カーナビ、GPSなども、もともとは、そうらしい。われわれは、こうした技術の平和で、安価な利用法を模索しなければならないのだろう。

 映画をみ終わってうつらうつらと眠りこけていたら、都図研大会の舞台で、「アシモ」が踊っている姿の夢をみた。なかなかいいアイデアではないか!交渉してアシモを都図研大会に呼んでも面白いと思うがいかがだろうか?

「アシモあんど文京区研究授業分科会」・・・08/12/20(土)

image002-3.jpg 金曜日は、社会科見学で日本科学未来館へ行った。日本科学未来館は、「∞のこどもたち展」でお世話になった場所である。今回は、社会科見学で行ったが、目的が異なると同じ場所でもまったく意味がちがってくる。
 科学館では、「アシモ(ロボット)」が印象的であった。その姿、イメージは、あの「鉄腕アトム」を想起させるものであった。ロボットは限りなく「アトム」(人間)に近づいている。
 「手塚治虫の偉大さは、日本人にロボットに対する親和性の原イメージを植え付けたことではないか」というような感想が浮かんできてしまうのであった。ロボットに対するイメージは、例えば、一般的にヨーロッパなどでは、「仕事を奪うもの」としてあまりかんばしくないらしい。つまり、文化によって捉え方がちがうらしいのである。
 アトム型のロボットは、「からくり人形」などのイメージもあるし、また、産業用ロボットなどは、自動的に作業をおこなえるものだが、人型のイメージはない。いわゆる人間が操作する工作機械は、ロボットとはいわないが、人型のもので、操作するものでもロボットと呼んだりするから、定義は曖昧だ。
 「ロボット」ということばは、カレル・チャペックの『R.U.R.』(1921年)よって生み出されたが、これは、A・アシモフの考えた「ロボット工学三原則」まで、「ロボット=反乱」というイメージをかたちづくったとされている。
 「ロボット工学三原則」というのは、以下のものだ。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
(『われはロボット』アイザック・アシモフ作、小尾芙佐訳 昭和58年 早川書房)

http://ja.wikipedia.org/wiki/ロボット工学三原則
 こうした原則に「アトム」などは忠実に従っているように感じる。また、この原則は、抽象的だがかえって、さまざまな問題を連想させる。「人間とはなにか」という定義によってその捉えも変化するだろう。
 さらに、同じような感慨にふけることのできる映画に遺伝子工学によって生み出された人造人間の話、映画『ブレードランナー』(1982)がある。これは、アンドロイドが、己の存在の意味(つまり人間の存在意味)を問う物語である。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(フィリップ・K・ディック、1968)が原作。
ロボットという限りなく人に近似したものを創造しようとする営みは、絶えず「人間」とはなにかという視線をうみだしていると、ぼくは、アシモをみて感じたのであった。
image003-1.jpg 5時頃、社会科見学から帰校して、金富小学校に、文京区の図工部会の授業研究分科会にTAXですっ飛んで行った。
 大道先生、桐敷先生、授業者の奥先生とで、授業案を検討した。この分科会は「鑑賞」の分科会で、「フロッタージュ」の活動をとおして、子どもの「みる、感じる」という営みに関係づける授業を考えている。
 おかしを食べながら、話すのだが、題材検討はもちろんだが、雑談も多く、むしろ、新任2年目の奥先生などには、こうした雑談に含まれるさまざまな話の方が得る者も多いかもしれない。指導案の背後にある実際の指導の実相・・・方法、ことば、態度など、そこには明記できない図工教育の知恵がある。
 経験年数を重ねて、指導案を形式にそって書くことは可能だが、あまり、同業の図工専科の先生方に近づかないで、永い年月を過ごした図工専科は、「自閉的で、自己中な傾向」があると、最近痛感するぼくとしては、大事な場だと思う。ということで、8時過ぎに会も終わり、講師の鈴石弘之先生に合うような反省会会場を水道橋付近に、大道先生を先導に実踏しにでかけたのであった。

「図工だいすき子ども美術展秋展の会議」・・・08/12/19(金)

081218_1859~02.jpg 昨日は、こどもの城で「図工だいすき子ども美術展秋展」の会議が夜あった。10年以上の活動を継続する展覧会だ。時間数削除に対応する有志によって始まった。現在もまだ図工の存続の危機は継続しており、運動としての重要性が再確認された。来週からはccAA で冬展が開催される。図工の先生方、関係者の皆さん、冬休みです。ぜひご参加ください。

「都図研西多摩大会レポートあんど特典1,2」・・・08/12/18(木)

 HP担当の菅原先生が早速、西多摩大会の映像レポートをアップしてくれた。あいにく当日参加できなかった諸氏、地方の先生方にもこの映像をみていただくとその雰囲気がつかめるのではないだろうか。
SANY0267.JPG 成増小学校の帰りの電車で「会長のあのハーモニカ、いいすっかね?」「えっ、いいよーん」などと返事をしたのだが、なんと「特典2」のおまけに入っていた。まったくおはずかしいシーンだが、ご愛敬ということでお許しくださいませ。(ぜんぜん特典でないでしょ!)
 「特典1」の方は、地元の伝統芸能を昼休みに演じてくれた。地域のみなさん、ありがとうございました。

あと少しで今年も終わりだが、「図工だいすき子ども美術展冬展」の搬入が待っている。が、まだ、ぜんぜん用意できていないぞ。この展覧会は、鈴石、横内、中村隆介、柴崎、時任、辰野、高村、辻のおじさんたちの展覧会である。その他、いくつか会合があり、それらを無事乗り越えると、やっと年越しとなる。
 年が明けると、1月23日に、落合第六小学校で、「都図研60周年公開授業」がある。こちらの超目玉は、奥村高明先生の授業がみられること。まあ、二度とない機会だろう。地方の先生も休暇をとって見にくる準備をしているらしい。
公開授業では、60周年の記念誌「とずけんスピリッツ」を配布する。都図研の歴史と活動が一目瞭然の編集となっている。現在、玉置副会長が、眠気ざましのドリンクをのみながら、最終編集をおこなっている。
ちらしをみると、あちゃー、こちらもぼくだけが題材が煮詰まっていない。やばいですぞ〜。

「城北大会プレ授業あんど理事研究会総会」・・・08/12/17(水)

image002-1.jpg 昨日は、成増小学校で、来年の都図研城北大会プレ授業と理事研究会総会があった。授業は、板橋、足立、北、豊島、練馬の各区で10の授業をおこなっていた。すでに大会並みの授業研究であった。人数も城北地区全体で約250人くらいの図工専科がいるので、先週おこなわれた西多摩地区の5倍の規模となる。
 数は一種、力であり、集まるだけで、熱気が生まれる。このパワーをうまく集結しながら、大会を運営していくことが鍵となるだろう。また、数が多いと元気な分だけばらばらになる傾向も強くなるので、都図研が置かれている状況や図工としてどのような意味を発信していくか、また、外部との連携なども考慮しながら、活動していくことが大切であろう。
連続して大会運営にかかわると、それぞれの地区の地域性があるものだということを実感する。城北の次は、城南地区なので、またそこも異なる地域性がある。
 それにしても、授業の様子でまず感じたのは、授業者の若い先生が、みたこともない多くの先生によっておこなわれていたことだ。ここ数年で、人員の変動がものすごい勢いで推移してきているのがわかる。西多摩大会の参加者層をみていても、同じことを感じた。
image003.jpg 大会のひとつの意味はこうした若い世代が図工にふれる場面をつくることでもある。ともかく、城北大会は、はじめの一歩を大きく歩みだしたと言える。
 その日は、一方で、理事研究会総会もおこなっていた。さまざまな報告、発表がおこなわれたが、来年度にむけての「役員選挙」がおこなわれ、会長辻、理事長本間先生、副会長南先生、鈴木先生、高橋先生、玉置先生、そして、新しい役員として福岡先生が、理事の投票によって信任された。三月の総会でこの結果を承認されることで次年度の役員が決定する。ちなみに、選挙で役員をきめているのは、都図研だけらしい。

 夜は、反省会をおこなった。40名を予約したから、役員からも10名程度参加してほしいという山崎事務局長の要請を受けていたが、40名を超える参加者で、予定の座敷には入りきらないほどであった。
 今後も大会当日までいろいろあると思うが、実行委員長の野上先生を中心にがんばっていただきたい。

「都図研・事務局会」・・・08/12/16(火)

image004.png 月曜日は、大会が終わって早々に、落合六小で、事務局会があった。今日(火曜日)の理事研究会の資料を作成し、車で、成増小学校まで運んだ。運んでいる間に、1月23日におこなわれる60周年公開授業の招待状の作成や発送をおこなった。
 本間理事長、加藤事務局長、福岡先生、渡邊先生、服部先生、南副会長、島田先生お疲れ様でした。この地味な、チョー地味な作業がないと、すべての活動がはじまりません。ほんと、ありがたいですね。
 7時半に仕事が終了し、レストランでちょっとの時間反省会。むかしのおじさんたちとちがって、事務局に飲んだくれはいない。(と思う?)

「西多摩大会番外編と理事会アンド城北大会事前授業」・・・08/12/15(月)

image002-3.jpg 日曜日は、あいにく雨だった。おかげでどこへも行かず、三回も昼寝させていただいた。(つまり、ずーっと寝てたってわけ?)
 大会役員というのは、なんだか、わさわさしている間に時間が過ぎていく。じっくり見れないし、写真も撮る暇もなかった。ちょろっと携帯に残っていた写真をみると・・・・・。
 中村隆介先生。都図研の2代目研究局長。都図研を代表する実践者である。隆介先生は、身体感覚を総動員して、一度現実そのもの解体する。二元的に線引きされた世界を一度破壊する。その破壊から、立ちあがってくる振幅の落差が、表現の強度をつくりあげている。それを彼は「編集」と述べている。と、ぼくはかってに解釈している。
柴崎裕先生の導入は、残念ながら、見損ねたが、なかなか見ものだったらしい。柴崎先生は、子どもに迫っていく、その迫り方が、独自の哲学に満ちている。ぼくは、彼の徹底的にみつめ、思考し、実践する姿にいつも、敬服している。
 観葉植物を囲んで、ビニルをはり、その二重性のなかで活動する。雨宮玄先生の授業。雨宮先生の世代は、なかなかすばらしい。研究熱心で、子どもを大切にする。都図研をになう次世代のホープと期待している。
image004-1.jpg 長い一日、ある場所に行くと決まってある人がいる。鈴石先生、岩崎先生、時任先生、中尾先生。重鎮たちの特徴は、「煙草吸い」。それから、「濃い」こともあげられる。ほんと「熱血」だ。血液が体内で渦巻いているらしい。雑談でも、ツバを飛ばしながら、話している。
昼休みは、いい天気。校庭の岩石園は、猿山のサルみたいに日向ぼっことお弁当。いい光景でした。
 広島の三根先生ではないですか。遠いところから、学生を引き連れて参加していただいた。ありがとうございます。
午後は、分科会。どこの会場も参加者でいっぱい。授業をみて、内容を検証する。ここでの記憶がやがて醗酵し、自分のなかで意味をもってくる。「都図研大会は、お酒」と同じ生成過程を経る。(ホント?)

image005-4.jpgそれにしても、菅野実行委員長、千田大会研究局長のほっとした、それでいて、やり遂げたという自信に満ちた表情も忘れられないものであった。ほんと、西多摩ブロックの先生方ありがとうございました。

・・・とまあ、大会の一こまを描きだしてみたが、参加者それぞれにインプットされた「一こま」が、無限にあるのだろう。

 全体の記録は、HPの菅原先生がもっか編集中、近日中には、みることができるでしょう。

 さて、明日の火曜日は、板橋の成増小学校で、城北大会の事前授業(城北地区以外は非公開)と都図研理事会が並行しておこなわれる。理事会では、「役員選挙」がおこなわれる。「選挙管理委員会」の運営で、各地区の理事によって、投票がおこなわれ、来年度の都図研役員が選出、承認される。都図研の組織の構造は、この選挙を起点として、形成される仕組みとなっている。

 今日(月曜日)は、本間理事長の学校で夕方から事務局会。そこで作成した資料を成増小学校に運搬する手はずである。都図研理事長は、絶えずこうした段取りに追われる。たいへんな激務なのだ。大会の運営でも本間先生の段取りは、際立っている。それは、表だってみえないだけで、理事長の仕事が、都図研を、他に類をみない「活動する集団」として成り立たせている。

「なにが大切か。後片付けが最も大切だよね」・・・08/12/14(日)

image006-2.jpg 金曜日は、夢のような大会が開催された。いつも思うのだが、こうした祝祭の時空を支えているのは、多くの図工の先生たちのみえない力であり、努力である。
 翌日の土曜日には、約30名の西多摩の先生方(本部からは、遠田、玉置、本間)が朝から集まり、椅子や机の運搬作業、会場の原状回復などの後片付けをおこなった。
 第四小学校から借りてきた280個のイスの赤いテープをはがし、4トントラックで運び、けっして運びやすいつくりとはいえない体育館の倉庫や3階の奥の部屋まで、もくもくと運ぶ姿は、ほんとうに感動的である。
image007.png また、会場校の椅子や机、たたみ、装飾、共同作品などもきれいに撤収し、その場所をもとあったように復元し、会場校の皆さんにご迷惑をできるだけおかけしないようにする。
思えば、こうした営みをこれまでの大会担当者は、今日の西多摩ブロックの先生がたと同じようにおこなってきたのである。だからこそ、盛大な都図研大会を実施することができてきたのである。
 大会というと、表だったはでな部分にどうしても目がいくし、また、華やかなものであるべく、皆さん苦心しているわけであるが、それがどのような活動の上に成り立っているのかを理解できていないと都図研の活動の真の意味を理解できたことにはならない。
 都図研大会が、47年間に渡っておこなわれてきたことのすごさは、図工の先生たちの図工を発展させようとする思いに根ざした、このような汗を流す活動に基づいているのだ。
 ぼくは、若い先生方にほんとうに学んでほしいことは、大会や研究の華やかさだけではなく、こうした地道な活動なのだ。(ちょっと文章がじじくさくなってきたね)
 最近はネット社会だから、キーボードをぽんぽんと打ち、「連携は大切だ」「共同して造形教育を」などと発信、操作することはいとも簡単である。が、そんなことだけでは、現実は動きはしないし、なにも実現しない。ここのところを錯覚すると妙なことになる。(「辻君、君が注意しなさい!」という天の声が聞こえる)何よりも、皆で汗を流す、ということが大切だろうと思う。
 というわけで、西多摩ブロックの先生方の後片付けをする姿をみて、ぼくは昨日の大会にまして、大きな感動を覚えたのであった。ありがと〜!

「図工専科の心意気・西多摩大会大成功!」・・・08/12/13(土)

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 東京の言わば田舎で行われた都図研西多摩大会、ふたを開けてみると、約600名の参加者があり、たいへん充実した60周年記念大会となった。
 おおかたの予測では、地理的条件や成績提出もあるので、300名前後の参観者があればと踏んでいたのであるが、晴天のおかげもあり、600名の参加者となった。
 ぼくは、これを積極的に受け取っている。つまり「危機意識」をもった図工専科の、少しでも図工を盛り上げたいという「意思表明」と受け取った。
 それは、最後の全体会でも、多くの方が長時間参観し、熱心に、話を聞いてくれたことにも現れていた。また、ざーっとながめると、その大半が、これからの図工をになっていく若い先生方で、そのまなざしにたいへん純朴なものを感じた。また、これまでの図工をになってきた先生方の見守るようなまなざしもそこにあった。ぼくは、そこに、希望を感じたのであった。
 立場上、授業や分科会をじっくりみることができなかったが、全体的にみて、シンプルな授業が多く、小耳にはさんだ感想はたいへん好意的なものであった。
西多摩ブロックのチームの授業も分科会も、研究局、研修局の授業、分科会も、それぞれの先生方の奮闘でたいへん充実した内容でおこなわれたのではないだろうか。
来賓には、今回、東京都公立小学校校長会、東京都PTA協議会の来賓もあり、全面的な支援のおことばをいただいたことは、今後の都図研の活動にとっては、大きな支えとなるであろう。今後も慎重に活動を進めていかねばならないと感じた。
image009-1.jpg このところ多忙を極めていて、かなりの疲労の様子が見受けられる奥村先生も渾身の指導・講評をしていただいた。また、こちらも超多忙を極め、新潟から駆け付けてくれた北川フラム先生も、ARTのもつ力、その非効率がゆえに、人間や社会を勇気づける力あることをさまざまなプロジェクトを通して、紹介していただき、我々を広い視野から元気づけてくれた。(来年度は再び、「越後妻有アートトリエンナーレ」に参加しようかと構想している。その際にはぜひ多くの若い先生方に参加していただきたいと考えている)
 こうした大会がうてたことは、西多摩ブロックの先生方、そして、猿田校長先生をはじめ会場校の教職員のみなさんの協力のおかげである。あらためて感謝したい。
 かように、多くの皆さんの協働で都図研大会は運営される。ほんとうにありがたいものだ。
閉会のあいさつでの遠田毅副会長の「これで大会を終了いたします」という力強い語気を含んだ言葉は、穏やかに、また、しんぼう強く大会運営にかかわった担当副会長としてのパッションがこもっていた。それは、遠田先生の思いがこもっていてこころをうつものであった。
 あわただしい一日であったが、多くの参加者と「協働の夢」がもてた一日であった。

「都図研西多摩大会前日準備」・・・08/12/12(金)

image001-1.jpg 昨日は、西多摩大会の前日準備。西多摩ブロックの先生方が集まり最後の準備をした。2年間の準備期間を得て、いよいよ本番である。瑞穂第一小学校の子どもたちにとって図工の楽しい時間がそこに生まれることを期待したい。
 体育館では、全体会のリハーサルが行われていた。このがらんとした体育館(写真)に、明日はぜひ多くの方にご参加いただき、熱気あふれる体育館になればと思う。
image006-1.jpg 都図研会員の皆様と全国各地の皆様、ちょっと遠いところですが、ぜひ、応援と研究を兼ねて足をお運びいただき、図工教育を盛り上げていただきたいと思う。

「世界児童画展中央審査会」・・・08/12/11(木)

image005.jpg 美育文化協会主催の「世界児童画展」の審査が、大手町の読売新聞社で朝10時から夕方までおこなわれた。
 審査員は、奥村先生、鈴石先生、大坪先生、天形先生、永関先生など、全国から集まった。昨年も参加したが、作品が絞られていくうちに、どうも今年は、○○方式的な硬直した指導傾向の作品が多く、高学年に移行していくにつれて、いつもの世界児童画展ののびやかな児童画の割合がすくないように思えた。
 子どもの絵の見方というのは、実は主観的で曖昧なようであるが、その背後には教育観が潜んでいる。
image006.jpg ぼくや鈴石先生は、長年子どもの絵の生まれる現場に立ち会っているので、共通の認識のようなものがある。が、地域によっては、図工教育の実践の中身が、まったく異なっていて、たいへんずれた認識というものもあるのである。
 けれども、やはり、たんにうまい描き方をもとめるのではなく、子どもの独自性にみちた子ども自身の表現を誘発するための図工であってほしいと願う。

 それから、今日は、西多摩大会の前日準備。明日は大会ですね。皆さん、瑞穂第一小学校でお待ちしています。あっ、今日は、「成績」の締め切り。出してから、出張しないとね。

「都図研大会に楽しく有意義に参加するコツ」・・・08/12/10(水)

 一年に一回の都図研大会。きっと、はじめての先生もいるので楽しむコツを紹介しよう。

  1. 「ちょっと遠いけど、日本最大の研究大会だ。いっちょ、いったるで!」と気合を入れる。(笑)。どんなことやるのか、「最終案内」でメニューを一応みておく。期待を膨らませる。「とずけんどっとこむ」には最終案内も、なんと「時刻表」もアップしてあります。(遠田先生、菅原先生えらい)
  2. 交通ルートを調べたり、弁当のことを考えたりしておく。そうそうデジカメも充電しておこう。「何着ていこうかしら?」スーツでなくてもぜんぜん大丈夫。
  3. ひとりで行く派もあるが、久しぶりに会う友達もいる。電話して、誘い合いながら参加する。会場で待ち合わせたり、一緒にいったりしても楽しいですね。
  4. どこかで弁当を忘れずに買う。
  5. 参加費を払う。出し渋ってはいけない。役員も実行委員もみんな払って、大会を自主運営している。これは昔からのしきたり、伝統です。
  6. できたら「報告書」も買ってくださいね。
  7. 会場をざっと見まわし何がどこで行われているか確認する。今度の会場は、ちょっと、複雑ですからね。
  8. 授業を参観する。鈴石先生、奥村先生は、一人集中型。僕はいろいろ歩き回る。予想をつけておいたり、また、その時の直感で、ある授業を集中的にみたりといろいろです。鈴石先生、奥村先生は、嗅覚を働かせて、いつもみているみたいですよ。まあこれも出会いです。子どもの表情がみえるように教師側からみるのが結構ポイント。普通はみんな後ろからみてますね。これ逆ですね。
  9. 子どもの動きに注意してみる。これが大切。すてきな子どもの動きをひとつでも発見したら、来た甲斐がありますよ。
  10. 少し早目の昼食。持ってきた弁当を一人で食べるもよし、友人となかよく食べるもよし。アトラクションも今回はあります。
  11. 分科会。面白かった授業を軸に考えるか、ゲストや講師など、分科会の様子で参加するか、いろいろですね。仲間が発表や講師をしてるなら、応援してあげましょう。
  12. ただ聴いているだけじゃ、もったいないので、思ったことはすすんで発言する。子どもが授業中に発言してくれるとうれしいでしょ。それと同じ。分科会の運営者もうれしいのです。それから、発言すると自分の身になりますよ。これほんとです。この時のことは、以後も絶対忘れません。
  13. また、面白そうな講師は、校内研究や地区の図工部の講師として、チェックあんど唾をつけておくのも手ですぞ。「あの〜大会でお話を聞きました。たいへんよかったので、校内研究の講師にぜひきていただけないでしょうか?」いっぱつでOKですね。 
  14. 全体会。最初の「挨拶」はめんどくさい。とおっしゃるあなた。結構これが大事なのです。都図研大会ができるのも、教育委員会やさまざまな外部関係諸機関に承認されているからこそなのです。どんなことをしゃべり、図工がどんな位置にあるか、自分の中で推し量りながらきいていると、眠くなりませんよ。
  15. 文科省奥村先生の指導講評。学習指導要領は、ある意味、図工が、公教育において根拠があると定めているものです。よく聞いて、自分の図工経営に生かしてください。(大いに利用してください)
  16. 大会記念講演。北川フラム先生。ARTの可能性を十分堪能してください。自分の見る目が大きくなります。
  17. 大会引き継ぎ。次は城北大会。板橋区の成増小学校で行います。西多摩大会実行委員が解放される瞬間でもあります。
  18. 会場校、校長先生の謝辞。きちんと聞いてくださいね。大会ができるのもこころよく会場を提供してくださったからです。これは仁義ですね。
  19. レセプション。自由参加です、遠慮せずご参加ください。この時にザックバランなお話ができます。
  20. 二次会は、自分で考えましょう。明日は、お休みですから夜遊びもいいと思います。
  21. 学校に帰ったら、職朝で大会のよさと参加の御礼も忘れずにね。また次に、参加しやすくしておきましょう。

ということで、あと二日に迫った都図研大会。楽しみながらご参加ください。

「いよいよ都図研西多摩大会が迫ってきたよ!」・・・08/12/9(火)

image001-2.jpg 今週からいよいよ都図研西多摩大会の諸準備が、はじまった。関係の先生方よろしくお願いいたします。袋詰や備品搬入、授業者顔合わせ、事前授業など月曜日に行われた模様。火曜日、木曜日と準備が続き、いよいよ金曜日には、大会当日となる。
 大会によっては、準備の時に殺気立つこともあるが、一番大事なのは、かっこいい授業をすることではなく、瑞穂第一小学校の子どもたちと楽しい、豊かな時間を過ごすことである。ほんのわずかな時間だけど、いい時間を子どもたちと一緒に過ごそうではないか。
 分科会では、いろんな意見が出ると思うが、参加した貴方もぜひ、自分の思いを主張してみてはいかがだろう。だまって聞いているだけでは、ストレスがたまる。
 午後は、「全体会」があるが、これも大切なものである。来賓の挨拶は、眠くなるという考えもあるが、現在は、対外的に来賓の方にたくさん来ていただくということが、図工という教科、特に専科制度を敷き、孤立感のある教科にとってはたいへん重要な場面なのだ。
 また、「新学習指導要領」の告示の年でもあり、文科省の奥村高明先生の指導講評も、現在の図工が目指すものについて、「はっきり認識できていないなあ」という方にはぜひ聞いていただき、公的な図工の位置づけを自分で押さえていただきたいものだ。
 さらに、北川フラムさんの大会記念講演は、必見であろう。北川さんは、ARTがもつ働きを社会にむかって最大限に開いた功労者である。そこにはARTが秘めている可能性をみることができるだろう。
 瑞穂町は、ちょっと遠いけれど、広島や徳島からも、学生を連れて参加してくれる方もいる。
乗り継ぎの時間を調べていけば、同じ東京だ、それほどロスはないと思う。因みに、お弁当も忘れずに。皆さん、瑞穂第一小学校でお会いしましょう。でもその前に「成績」を提出しないとね。

「TVの谷川さんアンド映画〈自虐の詩〉」・・・08/12/8(月)

image002-1.jpg TVをぷちんとつけると谷川俊太郎さんが映っていた。(これもなにかの縁かもしれない)。息子の谷川賢作さんとコラボレーション。音楽と詩の組み合わせだ。はじめてみたのだが、なかなかいい感じだ。谷川賢作さんのプロフィールは、ご自身のHPによると次のようなものである。

1960年東京生まれ。AN Schoolにて弘勢憲二、佐藤允彦氏に師事。瀬木貴将「パデランテ」、自己のグループ「DiVa」を経て、近年は父である詩人の谷川俊太郎と朗読のコンサートも行う。作編曲家として市川崑監督「四十七人の刺客」、市川準監督「竜馬の妻とその夫と愛人」、NHK「その時歴史が動いた」テーマ曲等。自己レーベルより3枚のピアノソロ作品もリリース。

http://tanikawakensaku.com/index_ie.shtml

 谷川さんは、司会者に質問されて、
「息子さんも芸術家にならせたかったのですか?」
「いえ、別になんでもよかったのです。ぼくは、全部、認めてますので」と答えていた。すなわち「全肯定」である。これが、子育ての秘訣かもしれない。期待をかぶせたり、比較したり、注文をつけ過ぎたり・・・・と、最近の親は、自分の子どもを常に「評価」しているのではないか?まず、存在を肯定すること、それがなければ安定した自我は築けない。

image004.jpg ひと眠りして、TVをみると、映画をやっていた。(注:何せ午前3時から起きている)『自虐の詩』というもの。ヤンキーな夫婦の愛の物語。何度もお膳をひっくり返すところが、キャッチな映像。コメディとシリアスがないまぜになって、たいへんおもしろい映画だった。おまけに「貧乏」がテーマで、ぼくは、「つぼ」にはまった。主演の中谷美紀が好演している。(女優というのはすごい生き物だね)
 でもTVばかりみてちゃいけない。「成績」の締め切りが、西多摩大会前日。今週は、大忙しだな。

「夕日ヶ丘」・・・08/12/7(日)

夕日が沈んでいく
老人は夕日をみているだけで十分だった
こんなうつくしい夕日があることも知らずに
きみはどこにいるのか
うつむくひとが通り過ぎる
ぼくはそれがきみかと思ったのだが
きみはそんなへまはしないだろう
ポケットにいれた手はかじかんだままだ
ぼくがかつて青年だったときのように
夕日が沈んでゆく
でもそれはどこかの朝日でもある

image002.jpg

「消えてしまうもの」・・・08/12/6(土)

image003.jpg 昨日の朝は、家を出て、バス停にいくまでに、ちょっといつもとちがった感じがした。寒くないのだ、いつもより。案の定、午後には雨が降った。
出勤途上というものは、思考以前の気分のようなものに支配されている。
ほとんど毎日、何十年間も出勤しているのだが、何も覚えていない。当り前で、繰り返し、繰り返しおこなわれる営みは、ほとんど意識の上にのぼらない活動だ。否、留まらないといったほうが、適切か・・・。
その都度、何かを考えていたはずだ。その考えていたはずのものは、どこに消えてしまったのだろう。人間は、覚えているものより、忘れてしまったことのほうが、ずっと多いのではないか。
 バス停でじっと待っていると、空がだんだんと白み始める。行きかう自動車は、まだ、ヘッドライトをつけている。少しずつ、街全体が動き始めようとしている。
 その時、ぼくはまだ「図工教師」ではなく、純粋な傍観者だ。
一時間後、図工教師となったぼくは、もちろん図工のことを考えている。その時、バス停の白んだ空は、すでにどこかに消えてしまっている。

「研究局会あんど役員会」・・・08/12/5(金)

image002.jpg 昨日は、落合第六小学校で、役員会がおこなわれた。役員会に先立って、研究局会もおこなわれていた。
 究局会では、迫ってきた「都図研西多摩大会」や1月23日の「都図研60周年記念式典」の授業の検討などがおこなわれていた。約20名の研究局員の皆さんは、現在の都図研の図工研究を牽引している。その姿をみると頼もしいと感じると共に、ぼくも20歳ほど若返って、一緒に研究してみたいなと感じた。(でも、そうはいかないのが人生である。過ぎ去りし日々は二度ともどってはこない)
 ここで、懸命におこなったことは、10年、20年経って、自分の中に核を形成していることに気付くと思う。と、おじさんは思うのであった。その時、ぼくはすでにいないが、ここにいる若い先生たちが図工教育の中核となって活動を展開しているにちがいない。そうでなければ、図工の未来はない。

 ちらっと、研究局会にお邪魔したあとは、別室で、役員会をおこなった。議題は「規約改正」「60周年記念行事」「西多摩大会の確認」「60周年記念誌」「教育課程検討委員会冊子完成」「20年度都図研活動報告書」「谷川プロジェクト」「今後の都図研の課題」など、多岐に渡った。7時過ぎに会議を終え、残れる人は、反省会でちょろっと「好み焼き屋」に寄って帰った。皆さん、多忙で、最近は反省会に残れる人が少なくなっている。大畑先生は、反省会後、学校へ仕事に帰っていった。さすが「真夜中の図工専科」である。
 こんなにたくさんのがんばっている図工の教師がいる。図工の先生は、ものすごくがんばっているのだ。

 地域の図工部にも出てこない、都図研にも出てこない、そんな図工の教師もごく少数だがいる。そんな教師は大変心配である。自分を相対化してみつめる基準をもてないではないか。がちがちにがんばる必要はないが、せめて参加して、少しでも自分の仕事をみつめる機会をもってほしいものだ。その意味で、図工研究会、都図研は大きな役割を担っている。

「文京図工部研究授業」・・・08/12/4(木)

image001-1.jpg 昨日は、駕籠町小学校で、新卒2年目の平岩奈津美先生の研究授業があった。シンプルな題材で、粉絵の具をまいて洗たくのりをたらし、指で描いていくもの。なかなか練られた題材で、粉を画面にまいたり、ポリプロピレンのツルツルの紙を使ったりして、子どもたちののびやかな活動が、誘発されていた。
 自然発生的に共同作業に入りこむ子どもたちもいて、みていてたいへん面白かった。恐る恐る、また、時間の経過とともに、自分の領分(結界)をやぶって他者と融合していくのは興味深かった。もちろん女の子たちのなかには、自分の領分を守って活動する子もいたが、ここで無理に教師が共同作業に移行させても、意味はない。
 また、講師でお招きした熊澤明彦先生は、存在感のあるお話をいただき、たいへん面白かった。僕には、かつての都図研の図工専科の先生の風情を彷彿させる方であった。
最近は、指導要領の解説の解説の解説といった話を聞く機会が多かったので、こうした現場の経験からくる話は、なかなか貴重なものだと再認識したのであった。そこには、実際に子どもにかかわる教師の機微があるのである。
image003-2.jpg こうした機微はどうやって伝わるのか。それは、やはり同じ釜のめしを食う人間が、奮闘している姿をその隣でかいま見ることでしか伝わらないのであろう。そんなことを感じた講師の熊沢先生の存在であった。
 反省会は、いつものように大道先生の先導で、「しゃぶしゃぶ屋」にいって楽しく談話した。

「マフラーあんどフェアトレード」・・・08/12/3(水)

image003.jpg さぶくなってきました。おじさんも手足の先が冷たい。写真は、最近愛用している、舘林の国吉を観にいった際に、ばあちゃんが買ってくれたくれた桐生産のマフラー。ちょっと派手かな。「なかおあきら」さんみたいなかんじになる。でも、あの結び方がわからない。誰か教えて!
 ところで、元都図研会員の中村夏美先生が、CCAAで、「世界のつくり手たち2008冬」という展覧会をやっている。(12月8日(月)まで)
http://www009.upp.so-net.ne.jp/ccaa/
 タイやフィリピン、カンボジアなどの手づくりの良質な製品を販売している。
 いわゆる「フェアトレード」というものだ。ウィキペディアによると、

「公正取引(こうせいとりひき、英:Fairtrade、フェアトレード、公平貿易)は、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することを通じ、立場の弱い途上国の生産者や労働者の生活改善と自立を目指す運動。オルタナティブ・トレード(Alternative Trade)とも言う。連帯経済の一翼を担う活動でもある。」とある。

関連リンク
 なかなかいいものがそろっていた。

「だんだん埋もれて・・・いく」・・・08/12/2(火)

image002-3.jpg おっと、原稿の締め切りを過ぎていた。やはり平積みはまずい。原稿が埋もれていたのであった。ぼくは、書類の整理がなあ・・・。PCのまわりは、「造形遊び」のようになってきた。すでに机より高くなってきた。

 しかしながら、ここだけではなく、後ろをみると・・・
image004-2.jpg

 ここも平積み。さらに・・・隣の部屋へと、この物体は続いていくのであった。

 皆様、年末です。確か、学校でも「整理・整頓」が目標になっているはずです。身辺整理をしっかりしましょう?(大きなお世話)
image007.png しかし、「情報の整理」は、鈴石先生、本間先生、横内先生、時任先生などの仕事ぶりをみていると、大切だと感じるのであった。「仕事人は、整理も上手」。

「矢野智司先生講演会アンドいよいよ師走」・・・08/12/1(月)

image001-2.jpgいよいよ12月に入った。本年も残るところあと数週間である。「先生も走る」12月ということなので、風邪などをめさぬよう、みなさんがんばりましょう。
 ところで、日曜日は、まれにみる晴天だった。冬のよさは、空が透明だということであろう。さらに、朝日や夕方の光は、たいへん見事で、それ自体が何か意味をもっているようにさえ感じさせる。あんまり美しいと吸い込まれてしまいそうだ。

 ところで、柴崎裕先生は、昨日は「干し柿」をつくっていたらしい。津久井湖の湖畔に住む柴崎先生ならではの生活である。彼は、自然の中で図工についていつも思索しているのであった。
思索と言えば、京都大学の矢野智司先生の講演会が、東京芸大である。今週の土曜日である。お時間ある方は、貴重な講演をのぞいてみてはいかがだろうか。矢野先生の著書は『贈与と交換の教育学』などがある。

矢野智司講演会

日時
12月6日(土)14:00〜17:00
場所
東京芸術大学 美術棟 第5講義室