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都図研は今年60周年

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「地域の連合展あんどCCAA臨時総会」・・・09/1/31(土)

image002.jpg1、昨日は、午前中は、区展の会場指導(当番)であった。森田先生の学校は、毎回全校児童を振り分けて、鑑賞にきている。低学年と高学年で手をつないでみる姿は微笑ましい。一日だいたい500〜600人の人が見る。5日間で、土・日はもっとくるだろうから、少なくみつもって、3000人以上は来場する。大きな地域への宣伝となるだろう。
 会場にいると、いくつか話しかけられた。中年の男の方で、区民の方であるが、「日本の子どもの絵は、外国の絵と比べると秩序がないというか、合理性に欠けるように思える。曖昧だ。」「文化の違いですか?」「いろいろな国の児童画をみているが、合理的な強さがない」「うちの学校はここの作品ですが、いかがですか」「このあたりのものは、しっかりとした組み立てがある。」「あっちに飾ってあるのは、非常に曖昧だと思う」「子どもは、つくる力をもっているはずだ」「そうですね、子どもはつくる力が潜在的にあって引き出すのがむずかしいのです」「まあ、ぼくは、通りすがりにいつもみていて感じたことを言わせてもらったが、だんだんとみているうちにわかってきた。今日は余計な意見を言わせていただいた。がんばってください」と去って行った。それを聞いていたご婦人が「私たちの子ども時代は、写生と工作だけだったので、今は抽象的なものやいろいろな材料を使っているので、解説があるともっとわかりやすく理解できるので考えてください」「あっそうですね。検討して今後の課題にします。ありがとうございます」・・・・いろいろな一般の方の意見が聞けて参考になった。午前中の会場指導が終わると飛んでお帰り、午後の授業をおこなった。(時間に間に合ったセーフ)。
 それから、都図研がいつもたいへんお世話になっている岩崎治彦副校長先生の五日市小学校が、地域の展覧会を行っているとご案内がきた。(下の写真)
image004.jpg
 あきる野市に「瀬音の湯」(http://www.seotonoyu.jp/)という温泉があるそうで、とてもきれいな温泉だそうだ。ここで、金曜日から、2月末まで、五日市小学校の図工作品を展示しているという。図工の先生は、若い今井先生。
 こうした地域の施設を活用し、図工の展覧会をおこなうのはいいアイデアで、地域とのコミュニケーションをはかる上で、よい試みだと思う。なお、足湯は無料。温泉好きの先生は、ぜひどうぞ。

2、夜は、四谷のCCAAで「臨時総会」があった。「定款の改定」ということで、承認され役所に規約を届けることになる。内野先生、矢木先生、鷲尾先生などの都図研OBや地域の方々、伝統工芸関係の方、賛助会関係のかたなど、いろいろな方面の方が集まってきていた。学校教育とはまた別の位相のアートのコミュニティが生まれつつある。
 中沢新一さんら「多摩藝術大学芸術人類学研究所」の方々も6月から「ダウン症の子どもたち」を対象とした展示会を計画しているらしく、会場の下見に訪れていた。鈴石先生から中沢新一氏を紹介され、ご挨拶をした。芸術人類学視点から、子どもの芸術活動をみていただければ、また、図工のちがった側面がひらかれるかもしれないな・・・と感じているが、いかがであろう。

3、今日は伝統工芸の絵が、CCAAであるが、審査会とバッテングしていて、ぼくは、審査会に参加する。なかなか昼寝できませんなあ・・・。

「都展図面の間違い・「活動報告書」・若手の成長」・・・09/1/30(金)

  1. 「都展」立体の寸法がまちがっていた。というのは、都庁のエクセルが、もとデータの小数点を四捨五入してしまったっため、寸法の繰り上げ、繰り下げを自動的におこなってしまったためである。伊藤事業局長が、対応し、各地区とHPのTOPに訂正の連絡をしてくれた。各地区の皆さんも現在、都展の準備をおこなっている状態だと思うが、訂正版をお見逃しなく、対応していただくようお願い申し上げます。
  2. 「H20年度都図研活動報告書」の作成がはじまった。メールで、研究局の活動報告書の原稿が行ききしている。H20年度の活動報告のまとめを各部局でまとめはじめている。もともと都図研の活動報告書は、研究局のまとめからはじまり、その後、研修局が加わるようになった。それ以前はなかった。今年度から、都図研全体のその年度における活動が俯瞰できるような編集でおこないたいと考えている。編集の玉置副会長、各部局の皆さん、60周年が終わったばかりで、たいへんですがよろしくお願いいたします。
  3. 大会や60周年をみていると「若い世代」が成長してきていることが実感できる。 今回の「都図研ニュース」の原稿は、吉岡琢真先生が執筆している。吉岡先生は、図工のよさ・位置を「据わりのわるさ」としてとらえ、むしろ、それをメリットへと展開している。以下、抜粋してみると・・・
わかり合えない者といっしょにいるのは、「据わりのわるさ」を感じるものだ。自己と他者の間を揺れ動くことになるからだ。だが、他者と「共生」するという「据わりのわるさ」に身を置くことが、創造する喜びを生成する。
 図工での子どもは、他者との未知なる出会いをする。それは、色や形と溶解したり、感覚を統合したり、友だちと共感したりして、創造する喜びを味わうことだ。他者とは様々にある。もちろん、うまくいかないとか、恥ずかしいとか、やりなおしたいとか、作業がメンドクサイとか、自分の表現に対する友だちの心無い発言に傷つくとかあるが、この場合の不快は、それがないと快もないといった表裏のものである。どうなるかわからないという不確定があるからこそ創造する喜びがあるのだ。

(「とずけんニュース12月1月合併号」より抜粋)

 また、HPの研究局の活動報告に、金子大介先生の文章も記載されている。子どもが「みる」ことに関して鋭い考察がある。転載してみる。

「壁」の向こう側にあるもの
“それ”を人は「手」と呼ぶ。人差指と中指を開く。人は“それ”をなんと呼ぶだろう。「ピース」かもしれないし「チョキ」かもしれないしあるいは「ふたつ」かもしれない。だが今日、三年生のAは“それ”を「クワガタ王」と呼んだ。“それ”はAによって一度名を失い、意味は解体され、つながりを失くしてバラバラになった情報は、Aの経験と結びつきながら再び意味を構成し、新たな名を得て木に還ったのだ。名を失った“それ”は、つながりをなくした無数の情報の塊だ。目の前に横たわる無限の謎を無限のままに五感で受け取る。“ありのまま”に見るとはそういうことだ。そこには教科書には載っていない活きた情報がある。自分の手で掴んだ自分だけの情報だ。情報によって世界は変わる。そこに創造が生まれる。決して容易ではない。概念は「壁」だ。いつしか壁の中から見える景色が世界のすべてだと思い込む。見ているようで見ていない。題材はその「壁」に風穴をあけるきっかけだ。ここではそれが「白い手袋」だったということだ。

(研究局活動報告より転載)

 そこには、目の前の子どもとの実践のなかから生まれた視線があり、こうしたまなざしが生まれつつあることが、頼もしい。

「体調不良」・・・09/1/29(木)

090129_0812~01.jpg昨日は体調不良のため5時退勤。
帰り道、前を怪しい二人組。
横を過ぎると・・・・「ウオッ、辻先生じゃないすか」
「おー卒業生、元気?」
「いまバスケ部のかえりっす」
「先生も元気っすか?」
「風邪ひきそう。歳だかんね。君たち、超元気そうだね」
「ハイ、ぼくたち元気っす。先生もまだまだっすよ」
「ほんじゃ、さいなら」ということで、今朝は、これにお世話になった。みなさまも風邪に気をつけて。

「文京区・区展搬入」・・・09/1/28(水)

image003-1.jpg 昨日は、午前中、授業をしてから、午後区展の搬入が、文京シビックホールであった。
 金、土、日と仕事があったので、月曜日に作品を梱包し、作品表などを準備し、昨日搬入した。
 区展は地域に示唆するのは重要な展覧会であり、個々の教師にとっては一年間の研究発表でもある。いろいろな学校と比較し、自分の仕事を振り返る大切な機会でもある。2月には、さらに規模の大きな都展が、上野である。こちらも都展運営委員長なので、都図研役員や都教委、さらに、他教科、他校種の先生方と協力して行う。二五〇〇〇人が来場する。おおきな図工のアピールの場でもある。みなさんがんばりましょう。
 反省会は、近くの居酒屋に行った。雑談する中で、大道先生(彼は外国通である)がロンドンで、買い物中、見知らぬ外国人にいちゃもんをつけられ、喧嘩になりそうになった時、後ろを振り返ると、あたりにいたベトナム人が、寄ってきてみんなで構えており、見知らぬ外国人は、立ち去って救われたというエピソードはたいへん面白く、そんなことから、大道先生のルーツは、南方系で、ベトナムということになった。
 ぼくや榎本先生は、どっちかというと北方系で、ロシアあたりかな?

「『美術館を活用した鑑賞教育充実のための指導者研修』報告書」・・・09/1/27(火)

image005.jpg 昨日学校に、近代美術館の一條さんから、本年度の「『美術館を活用した鑑賞教育充実のための指導者研修』報告書」が届いた。夏休みの期間に、全国から受講者がきて、3日間連続しておこなう研修会だ。
 都図研では、柴崎裕先生が、委員となって活躍している。昨年もいただいたが、いい編集で、中身もなかなかすぐれている。
 昨年は、確か、残部があり、連絡すると参加していないひとももらえたような気がするが・・・・今年はどうなのだろうか?(ぼくの錯覚かな?もらえたらみんなうれしいと思いますが。)
image006.jpg 本書のなかで、柴崎先生(写真右下の人物)は、「白髪一雄」の「足で描いた作品」を対象に、ギャラリートークのファシリテーターをしているが、そのなかで、受講者が「気色悪い。道端にへばりつく猫の死体みたいだ。何故これが、美術館に置かれているのか?」と問われたらしい。
 こうした質問は、かなり劇的なもので、みることをめぐってスリリングな格闘が続いたらしい。
 このあたりのことを柴崎先生に、都図研の研修会などで話してもらうと、結構面白いと思うのであるが、いかがだろうか?柴崎先生様!

「日中児童画展開会式CCAA」・・・09/1/26(月)

image003.png 日曜日は、CCAAで、「日中児童画展みんな友だち ぼくの絵わたしの絵展」の開会式があった。
 都図研も後援しており、何人かの役員が列席した。実行委員長の永井多恵子氏の挨拶(元NHKのアナウンサーで報道番組などを担当していたのでみたことがあるお顔である)、また、来賓には、国立新美術館館長の林田英樹氏の挨拶があった。(下写真)
 10月に鈴石先生も上海展にいってきたばかりであるが、今回は、CCAAとNHKで日本巡回展をおこなうようである。
 この児童画展は、「第10回中国上海国際芸術祭日本文化ウィーク」のなかの催しとして、おこなわれたもので、いろいろな意味で児童の国際交流が深まるのはよいことだろう。
 次は、津波で災害のあったタイでの計画を考えているらしい。鈴石先生は、3月には、タイにいって児童画を指導する。
 超人的なそのバイタリティには驚かされる。おととい都図研60周年が終わったばかりなのに・・・・脱帽!

「早野凡平『ホンジャマーの帽子』あんど日中こども展開会式」・・・09/1/25(日)

image002.jpg 土曜日は、某会議に参加。疲れたな〜。ところで、60周年の二次会で、横内先生が、ぼくの「早野凡平」のパーフォーマンスの写真を撮ってくれた。飲み屋なのでやや暗いが、なんとも、はずかしい。

 なんことかわからない方もいると思うので、話すと、60周年公開授業の全体会での会長挨拶の際に、ぼくは、「早野凡平」の「ぼうしの芸」をおこなったのであった。ところが、「早野凡平」のことやこの芸のことを知らない人が半分以上いて、少々の笑いをとったものの、あとで若い先生方が「いったい辻会長はなにをやっとんのや?」「おかしくなったんか?」ということになった。
 「早野凡平」を知らないとは・・・。知らないことで伝えたいイメージが、半減することに気づいた。
 そう言えば、最近、早野凡平さんをみかけないなと思っていたら、90年に亡くなっていた。ウィキペディアで、調べてみると載っていたので、抜粋してみた。

◆早野 凡平(はやの ぼんぺい、1940年2月21日 - 1990年5月3日本名:松本 光弘(まつもと みつひろ))は、日本の大道芸人、ボードビリアン、タレント。
 新宿松竹演芸場の研究生として出入りしているうちにこの世界に入った。その後キャバレー廻りなどを経験した。「ホンジャマーの帽子(ホンジャマカ帽の異名もある)」と呼ばれる帽子を用いたヨーロッパ起源の古典芸(Chapeaugraphy)が有名。この帽子は帽体とツバの部分が分離するようになっており、早野は慣れた手つきで黒い帽子を様々な形に変形させて、有名人や動物の真似をして人気を博した。主にテレビの演芸番組や舞台で活躍した。大道芸人のパン猪狩の弟子。「ナポレオン」、「カウボーイ」、「スチュワーデス」、「牧師」等が定番ネタ。舌足らずな歌を歌いながら、次々と繰り出すのが特徴。
 この帽子芸によりテレビ出演も増え一躍人気者となり、舞台トークのネタとして「この帽子のおかげで練馬に家を建てることができました」と語っていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E9%87%8E%E5%87%A1%E5%B9%B3
◆「ユー・チューブ」でその芸がみれる。
image004.jpg画像をクリックすると映像が見れます。
 映像をみると、思っていた「ホンジャマーの帽子(ホンジャマカ帽)」と構造がちがったが、300人の前で、これをやるのはなかなか勇気がいった。
 早野さんのこの帽子の芸は、子どものころみて、今でも心の中に残っていた。一度見たら忘れない芸というものがある。さりげないが、なんかおかしい。

 さて、今日は、CCAAで「日中こども展の開会式」がある。

「60周年公開授業、ご参加300名の皆様、ありがとうございました」・・・09/1/24(土)

image008.jpg◆金曜日は、落合第六小学校(本間理事長)で、都図研創立60周年公開授業がおこなわれた。午前中は、雨だったが、11時頃からよい天気となった。
 受付の加藤先生、伊藤先生たちのスタッフによると、300名の参観者があり、「5つの研究授業」(自分の授業はさておいて)と「パネルディスカッション」もたいへん充実したものだという多くのご感想をいただいた。60周年を祝う充実した行事となった。
 都図研では、50周年の際も「公開授業」をおこない、周年の「儀式」ではなく、「授業と協議会」で、図工教育をみんなでみつめる会として催している。図工を通して、子どもと直に向き合う立場からのメッセージがそこにある。

◆文部科学省の奥村先生の授業会場は、開始前20分から、すでに人がいっぱいになり、すごい状況だったようだが、奥村先生の柔らかい人柄と周到な準備で、子どもたちは(その会場の雰囲気をのぞいて)いろいろな造形活動を十分楽しんだようだ。「鑑賞」の授業は、見た方が多いのであるが、「表現」の授業は、ほんぽう初公開であり、貴重な機会となったと考えられる。超多忙な奥村先生が、現場で授業をおこなっていただけるのは、思えば、奇蹟的なことであり、現場と子どもを大切にする姿勢がそこにある。早めに来校され、子どもたちと給食を食べるなど、コミュニケーションを周到にとられる姿は、サポートした若い先生方の範になったであろう。鈴木副会長をはじめとするスタッフの皆さんありがとうございました。

◆鈴石先生の授業は、はじめて出会う1年生たちとの語らいのなかで、はじまった。スタッフの話によると、その導入は、なんとも面白いもので、子どもとの交流が、鈴石先生の魔術的な接触によって展開するのだそうだ。いつのまにか、はじめてであった1年生とは思えないような「場」「雰囲気」が出来上がり、そののちに表現活動が展開していく。そこには、子どもの存在に近しいというか・・・・子どもの存在に同調していく教師の存在があるようだ。

◆横道先生の授業は、紙コップに切り込みを入れていくもので、子どもたちも喜々として活動が展開できたようだ。スタッフの感想では、思わぬ発見に声を上げたり、表情を崩したりしながら、つくっていく子どもの姿があったようである。横道先生たちの若手スタッフは、シンプルに気取らず授業をおこなった。

◆柴田先生の授業は、手袋に目や手足をつけながら、それが、子どもと同化し、生き物となって、いろいろなお話をそこにつくりだすというものである。
 少し長めの導入から始まったらしいが、子どもの柔らかい心の在り方に着目しながら、授業を創造していくのは、現在の都図研研究局の特質かもしれない。

◆僕の授業は、「感じる」ことをねらいとしたものだったが、子どもたちがたいへん素直ですてきだった。子どもちありがとう〜。最後に床に寝ころんで、うえを見上げ、鑑賞したところが、なんともいえなかったです。

◆地方から参観していただいた皆さんの感想からも、授業がとても充実していて、よかったというご意見をいただいた。都図研の核は、「授業研究」であり、授業への真摯な姿勢を感じ取っていただけたことはたいへんうれしい。奥村先生、鈴石先生、横道先生、柴田先生、そして、授業スタッフの先生方ありがとうございました。

◆記録も庖刀先生をはじめとするスッタフががんばってくれてくれた模様。記録にまとめることもこれからは大事ですね。

image009.jpg◆第二部は、南副会長のコーディネイトでパネルディスカッションがおこなわれた。「授業で大切にしていること」「子どもを見る視点」「図工で育つ力」「今後の展望」について、「カード」にマジックでパネラーがキーワードを書き、それを一斉にみせながら、話をするものであった。パネラーは。岡田研究局長、奥村先生、鈴石先生、辻の4人。
今日おこなった授業もとに、それぞれの立場から、具体的な話が展開した。遠田先生、菅原先生らのスタッフは、授業映像をスクリーンに投影してくれた。(壇上からみていると話がたいへん具体的でわかりやすかったらしく、寝ているひとは少なかったようである)また、会場から、都図研研究局のこれまでの歴史的な展開を横内先生が話されるなど、立体的に話題が展開した。

◆第3部は、レセプション。約70名の参加者があり、こちらも、高橋副会長の司会のもと、たいへん盛り上がった。野中真理子監督、松永指導主事、北海道から阿部先生、広島からは三根先生、長野からは寺島先生と、多くの皆様に、ご参加していただけるなど、都図研の活動も開かれたものになりつつあるようだ。
若い先生方もたくさん参加していただき、この光景を目に焼き付けていただいた。70周年の際には、ここにいる若い先生方が中心となって、こうした会をすすめていく。
image010.png 最後に、本間理事長の終りのことばと、若い雨宮先生の一本締めで閉会となった。
 本間先生は、理事長でもあり、会場校でもあり、さまざまな事務、連絡をひとりで引き受け、今回の会を成功に導いた功労者である。実はまだ、理事長1年目なのだが、その辣腕によって都図研は動いている。本当にお疲れ様でした。
また、雨宮先生の「これからの都図研の活動を背負ってがんばっていきたい」ということばは、たいへんたのもしく、記憶に残るものであった。

◆こうした会が実現できたのも、動くことを厭わない役員スタッフ、研究局スタッフ、研修局スタッフの皆さんの努力のたまものである。
ありがと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜う!!

「前日準備」・・・09/1/23(金)

image002-2.jpgimage004.jpg昨日は、落合第六小学校で、前日準備があった。研究局、研修局の若い先生方がたくさん応援にかけつけてくれて頼もしかった。みんなで協力し、前日準備をおこなった。しかし、ぼくも自分の準備にかまけていたので、写真を撮り忘れた。あわてて撮ったの2枚。

SANY0013.JPG1,会場壁面の絵画作品。あっという間に飾られた。多くが若い先生方の研究成果である。なかなかすばらしいではないか。SANY0046.JPG2,舞台の設置。横内先生が横看板をつくってきてくれた。中央に60の文字。左右に作品。中央スクリーンには、当日の授業が映される。シンポジウムの席を設定。SANY0030.JPG3,奥村高明先生の授業会場も設置できた。のぞくと、若い先生方を生徒にシュミレーションで模擬授業をしていた。SANY0025.JPG4,むかいの教室は、横道先生。実にシンプルな会場づくり。       SANY0020.JPG5,同じ階の廊下まっすぐの突き当たりは、柴田先生。机に名札が貼ってあった。SANY0016.JPG6,辻・鈴石先生は、一回の廊下突き当たりの体育館。鈴石御大は、今日の午前中に準備。さすが大物。SANY0007.JPG7,受付は、「カード」に記入して、「記念誌」をもらい、入場ください。学校の配慮で、「土足」OKです。SANY0041.JPG8,レセプションの打ち合わせ。

9,パネルディスカッションの打ち合わせ。(ごめんなさい、写真なし・・・)

写真提供・・・みんなが働いているのに、一人スーツを着てフラフラしているS氏より

といことで、準備が済んだ。後は、今日の午前中の授業を済ませて、会場校に駆けつける。

「明日は都図研60周年記念公開授業」・・・09/1/22(木)

image003.png 明日は、いよいよ60周年記念公開授業がある。今日は、午後から前日準備である。
 五つの授業が予定されている。
特別授業として、奥村高明先生。鈴石弘之先生。鈴石先生は、都図研の根っこである、というか戦後の美術教育の根っこである「創造主義」的な実践を約40年に渡って、続けられてきた稀有な先生である。
奥村先生は、周知のように、文部科学省の教科調査官として、常日頃、ご指導いただいている方だ。鑑賞の授業は、皆さんご覧になっているだろうが、「表現」の授業は、まだ誰もみたことがない(と思う)。どんな授業が展開されるのだろう。ぼくも授業者だが、途中でぬけだして、みにいこうかな?(笑)おりしも「指導要領」改訂の年度であり、得るものは多いにちがいない。
また、若手の柴田先生、横道先生は、現在の研究局の中核を担っている先生方である。これからの10年は、こうしたお二人の世代が、現場の図工教育を牽引していくことになる。都図研研究局も、岡田体制が今年度発足し、ちょうど一年間のまとめということになろう。若い先生方のみつめている方向性をぼくも知りたいと思う。
 新旧の先生方が「どのように子どもをとらえ」、また「どのような考えで授業を創造しているのか」、そのあたりは、みどころであろう。図工専科経験10年未満の新しい先生方には、見逃してほしくない公開授業である。(もちろん、それ以上の先生方もぜひみてね!)
 第二部は、「パネルディスカッション」をおこなう。奥村先生、鈴石先生、岡田研究局長、辻のパネラーに、司会は、南副会長がおこなう。
 実際におこなった授業をもとに、話し合いがはじまるらしいので、「授業」と「パネル」をセットでみていただくと、よいかもしれない。「映像スタッフ」がスタンバイし、授業の記録をとって、協議会で流すらしい。
 それから、「60周年記念誌」は、研究を中心に編集してあるので、これも家に帰って、また、電車の帰り道などに読むと立体的に把握できると思う。
 50周年記念も都図研は、「公開授業」をおこなった。「記念式典」ではなく、授業の実質をとり、公開授業をおこなうところに、都図研の「イキ」がある。これも伝統であろう。
 それにしても、いい天気になるとよいですね。幸いぼくは「晴れ男」。(なので、雨がふったら本間理事長のせいということで)

(*写真は、原稿にちょうど合う写真がなかったので、ぼくの図工室のつくえのうえにある札の裏表です。)

「日曜大工アンドいよいよ60周年」・・・09/1/21(水)

image002.jpg◆写真の作品は、かのミニマルアーティストのドナルド・ジャッドの反復を活用した作品・・・・ではない。
実は、北欧系の家具屋さんにあったもの。そのお店は、最近、話題らしい。三郷市にあるというのでこの間行ってみた。これはその店の入口にあったものだ。
実に大きな店で、いろいろな家具が並んでいた。普通の家具店よりはなかなかセンスがいい。そして、なんと言っても値段が安い。「マジですか?」という感じだ。何か買ったわけではないが、後で聞いたところによると、買ってからのトラブルがあるらしい。
つまり、個々の家具は、自分で組み立てるのであった。世のお父さんの中には、組み立てることができないお父さんもいるのであった。家族からは非難ゴーゴーとなる。欧米人は、こうした日曜大工の習慣・趣味があり、こうした組み立てる作業を苦にしないので、むこうでは結構はやっているのであった。
 「図工」の「工」の部分は、まだ日本では、生活のなかに定着しているとはいいがたい。というか、そんな工作をする場所も時間も日本人にはないといった方がいいのか?あるいは、出来合いのものを安く買った方が手っとりばやいことも事実ではあるが・・・。
 それにしても、実にたくさんの人が来ていて満員御礼である。若い家族が多かったが、家具の組み立てやインテリアなどを、自分で手掛ける若い世代が増えつつあるのだろうか?

◆さて、いよいよというか、60周年が迫ってきた。木曜日は、前日準備。袋詰め作業は、300個を考えている。いったい何人の方が参観していただけるか、皆目見当がつかない。でも、たくさんの方に来ていただいて、60周年を機に図工について一緒に考えられたらと思います。ぜひ、ご参加ください。

「60周年準備に皆さん動きだす」・・・09/1/20(火)

image003.jpg 昨日は、60周年の授業の材料と用具を夜、落合六小に運んだ。学校につくと、柴田祐佳先生が、準備にきていた。材料や席順など、細かくていねいに事前準備するひとだ。その熱心さにびっくりする。45分のなかで、子どもにどんな思いを体験させるか、あれこれ思案していた。それに比べ、ぼくは、なんとおおざっぱなことか。
 今週に入って、授業者の動きが出てきたとは、会場校の本間先生の言。今日は、奥村先生も来て、鑑賞の授業をやっていったそうである。当日は「針金」の授業。
 また、メールでも、会場準備や日程、パネルディスカッション、レセプション、表示、管番、記録など、確認や連絡などが、飛び交い始めた。
 いよいよですね。

「ボブ漬け」・・・09/1/19(月)

 日曜日は、学校にいって仕事をしようと思っていたが、そこはナマケモノ。「脳」が動かんということで、買ったばかりのディランのアルバムを聴いた。おまけに真夜中に発注した2枚のアルバムが夕方には到着。恐るべき「資本主義」ということだが、封を開け、聞きいってしまった。
土曜日にみた映画『ノー・ディレクション・ホーム』のタイトル・ことばは、『追憶のハイウエイ61』(写真下)の「ライク・ア・ローリング・ストーン」という歌のリフレインのなかに入っていた。有名な・・・

How does it feel
How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?

どんな気がする
どんな気がする
ひとりぼっちで
かえりみちのないことは
ぜんぜん知られぬ
ころがる石のようなことは
(片桐ユズル訳)

のところである。裕福な子女が落ちぶれていく詞なのだが・・・人生は「転がる石」。「帰る家」はない。ニヒルだが、一歩踏み込めば「諸行無常」。また、絶えざる変革と、差し替えることもできる。(というか、アメリカ人は、本質的に流れ者(ホーボー)の伝統がある)さらに・・・

When you got nothing, you got nothing to lose
You're invisible now, you got no secrets to conceal.

なんにもないときは、なんにも失うものはないのだから
あんたはいま透明だ、あんたは秘密がなく かくす必要もない

image003.jpg・・・という歌詞が目にとまった。ああ、厚手の化粧や着飾ったドレスがはぎとられたとき、真実がはじまる。ひとは年とともにどんどん観念の厚着にまみれる。透明なまなざしこそ世界を変える。

 『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(写真上)は、なんてたって、写真がいいね。もしかして世界中の若者が「ジャケット買い」したかもしれない。『追憶のハイウエイ61』のディランの面構えもいいね。

 ということで、日曜日は「ボブ漬け」であったが、今週は、いよいよ「60周年」ですね。役員、研究局、研修局の皆様、よろしくお願いします。

「ボブ・ディラン『ノー・ディレクション・ホーム』」・・・09/1/18(日)

image002-2.jpg 土曜日は、学校にいって仕事をしようと思っていたが、そこはナマケモノ。体が動かんということで、まだみていなかったB・ディランの映画『NO DIRECTION HOME』(M・スコセッシ監督、2005)をみた。
 3時間を超えるドキュメント映画だったが一気にみた。ディランのインタビューを中心に、生まれた街から、オートバイ事故を起こす頃までの半生を綴ったもの。
 それにしても、映像のディランは、なんて若いんだろう!この映画は、つるつるの肌をもつ、細身の、才気にあふれた、そして、何もないただの歌好きの田舎青年のディランが、さまざまな人に出会い、大きな変革の時代と交差しながら、生きていく成長の物語だ。
image004-1.jpg ・・・ところで、妙にというか、気がついたのが、ジョーン・バエズ。ジョーン・バエズも細身の聡明な才気あふれるフォークシンガー。バエズの純粋な感じが伝わってくる。バエズは、優等生のお姉さんといった感じで、かいがいしくディランの世話をやいている。(まじめで、一生懸命で美人な女の子っていますよね。そんな感じ。ちなみにバエズはクエーカー教徒の家に生まれる。)
 わがままで、気ままで自己チューなディラン。対照的な二人が出会い、そして、別れていく。(ああ、人生は出会いと別れの一期一会。)

 ・・・ということで、映画を堪能して、後は夕方までずっと寝てしまった。
 夕方から、散歩に出かけ、『時代は変わる』『ブロンド・オン・ブロンド』を購入。(LPはあるが、今は埃をかぶって聞けないからね。)
 『時代は変わる』はおどろくほど新鮮。ギターとハーモニカ、そして、「声」、それで十分ではないか。それだけで、人の心に通じるものが表現できる。余分なものはいらない。

「東京都中学校美術教育研究大会北多摩大会、参観」・・・09/1/17(土)

 昨日は、都中美大会に初めて参加した。午前中は、府中市美術館。午後は、浅間中学校。美術館での鑑賞授業と午後は、小中連携の授業を参観した。(ちなみに、武蔵野線「北府中駅」から歩いたら、歩いても歩いても美術館に着かないのであった。4キロ弱はあったな。地図だと近かったのに。でも授業には間に合った。セーフ。)

image004.jpg 美術館では、「342人の小さなノート」の鑑賞授業をみた。原高史さんという作家が、中学生と交流し、ノートにさまざまなものをかかせたものを展示している。
 授業がはじまった。約40人近い人数は、かなり多い。いまはやりの「対話型鑑賞」のような形態かと思ったら、そうでもなさそうだ。生徒たちはきちんと静かに授業にのぞんでいた。「鑑賞カード」を配布したり、作品を交代でみたり、なかなか鑑賞の話し合いは、はじまらない。
 やっとはじまったと思ったら、中学生は、「口がかたい」。この観客がたくさんいる会場では、自主的に意見をいうことはないかもしれない。中学生に「口を割らせる」のは並大抵ではないのだ。指導の先生は、がんばって生徒の意見を引き出そうとする。生徒を指名しながら、意見や感想を引き出して、授業をすすめていく。
 教師のことばをよく聞いていると「指示」「説明」「質問」などが多かったようだ。「繰り返し」「揺さぶり」「話題の展開」「焦点化」などによって、話し合いの深化があれば、「内面世界」が小学生よりもさらに広がった中学生ならではの、すごい対話が生まれるような気がする。
 教師の脳髄から、鑑賞活動の背後に「答え」があるという構図を払しょくしないと、「対話による発見」はあり得ないだろう。

image010.jpg 午後は、「芸術劇場」のレストランで本間理事長と待ち合わせをし、食事をした。本間先生は、ここは、子どもの頃を過ごした地元だそうだ。この場所は、雑木林でよく虫取りにきたそうだ。今は、開発され、立派な劇場や美術館が立っている。(子どもにとっては、劇場と雑木林ではどちらがその育ちにとって有意義だろうか?などという考えがふと浮かんだ。)

 浅間中学校で、午後の授業がはじまった。
 こちらは、「新聞紙」を使った「造形遊び」の授業。小中連携の授業で、小学生と中学生が班になって活動する。

 こちらは、中学の先生が中心になって授業をすすめた。みていてすぐ違和を感じたのは、活動の「枠」を事細かに説明、指示し、制限がかなり多いことであった。
小学校では、子どもの興味関心を高めるため、短く、単刀直入に活動へのヒントを手渡す導入がおこなわれ、また、かなりの腐心がそこにあるのだが、60分の授業で20分近く指示が続いていた。特に「造形遊び」の授業だったので、活動内容への事細かな教師側の指示は、かなり気になる導入であった。
恐らく、中学では、行動の枠組みをかっちり決めないと生徒に活動させることができないような日常性が横たわっているのであろう。
 けれども、「造形遊び」という活動のすごさは、材料にふれ、体感し、いろいろな行為をするうちに、気持ちがほぐれ、イメージも湧き、だんだんと他の人との交流がはじまるのであった。子どもの自発性が、材料やその操作のなかで、少しずつ立ち上がる様子が見て取れるのであった。
image012.jpg 教師側の授業のイメージに子どもを囲い込むのではなく、子どもの自発的な活動が立ち上がる様子を見取りながら、指導とは何かについて考えていくことで、教育観も変化していくにちがいない。中学校でも積極的に「造形遊び」について考えていったらどうであろうか。

 また、小中連携というと必ず立ち上がるのは、その落差からくる立場の違いである。こうした論議は、水掛け論に陥りがちで、そうなると発展性がないが、その教育観、指導観の底に横たわるものを吟味し、根源的に考えていく姿勢をもたないと実質的な意味での連携は、むずかしいであろう。

 こう考えていくと、共通の基盤を図るためには、恐らく「新学習指導要領」で示されている「資質能力」論を指標にすることが、カギとなるであろう。
 ぼくは、都中美の大会に行ったのは今回がはじめてであり、こうした意味でも交流は、はじまったばかりである。先を急ぎ過ぎてはいけない。と感じた。今後も地道な交流を図ることが大切であろう。

「谷川絵本プロジェクトあんど60周年記念誌」・・・09/1/16(金)

image002.jpg 昨日は、谷川俊太郎絵本プロジェクトの会議があった。
 5月の発刊を目指して、現在編集作業にとりかかったところです。とてもいい絵本になりそうです。詳細は、おって、報告します。谷川P委員会の皆さんがんばりましょう。

 また、「都図研創立60周年記念誌」が、本間理事長のところに印刷所から届いた。すごい「記念誌」ができあがった。これも玉置副会長の努力の賜です。ありがとういございました。また、ご執筆いただいた先生方もありがとうございました。都図研の研究を中心とした歴史と体制・組織が俯瞰できる、これまでなかった編集になっている。23日の公開授業の参加者に、配布いたします。じっくりお読みください。

 今日は、都中美大会に参加する。

「文京区図工部会、奥先生研究授業」・・・09/1/15(木)

image002.jpg 昨日は、文京区の図工部会の研究授業であった。授業者は、金富小学校の奥真知子先生。2年目の先生。
 内容は、1年生のフロッタージュを通しての「鑑賞」の授業。ぼくも一緒の「鑑賞分科会」の提案授業。
 実は、出がけに、中央大学で「殺傷事件」がおきて、どの学校も集団下校となった。金富小も研究授業のクラス以外は集団下校。校長先生の英断で、そのクラスは残していただけることになった。ゆえに、半数以上の図工部先生方は、1時35分の授業開始に間に合わなかった。
とんだ事件だったが、授業そのものは、たいへんよい授業で、奥先生も穏やかな感じの語りかけのなか、子どもたちは夢中になって授業をおこなっていた。
 「鑑賞分科会」では、表現と鑑賞は一体化したものであるという考えから、身の回りの事物を感じ取る手段として「フロッタージュ」を通しての活動を設定した。そこには、たんに、モダンテクニックを教授することが目的ではなく、子どもが身体感覚を通じて対象を感じ取っていくことが主眼となっていた。
image003-1.jpg 講師は、前都図研会長、鈴石弘之先生。鈴石先生の講評は、たいへん分析的で、具体的な子どもの事象・活動にそってお話をいただいた。なかなか説得力あって参考になった。個々の子どもの活動と題材の意味を結びつけながらの語り口は活動の意味を解きほぐしていた。同じ事象をみても、みえていないものがそこには浮かび上がってくるのであった。
 帰りの反省会は、大道先生の仕切りで、「菩提樹」という揚げ物屋。なかなかいい感じの店であった。鈴石先生の毒気?のせいか、みんなで二升近く飲んだのではないか?ということで、反省会も無事終了し、帰宅となった。授業分析の手法の上で、何かヒントを得たような気がした。ちょっと考えてみようかな。

「一日のはじまり」・・・09/1/14(水)

SN3E0097.jpg 昨日からいよいよ授業が始まった。いくつになってもなんとも言えない緊張感がある。朝7時過ぎ学校につき、はんこを押したり、その日の日程を確認する。廊下の窓を空けながら、図工室に到着。ストーブをつけたり換気したり。作業服に着替える。まず、雑巾をしぼり、今日くるクラスを確認し板書する。板書しながら、頭の中をととのえ、材料や用具をそろえ、配置する。一応、子どもになって、動きを頭の中でシュミレーションしてみる。おおよその目安がついたら、コーヒーで一服。人によっていろいろだろうが、ぼくは、だいたいこんな風に学校の勤務が始まる。

「都中美北多摩大会など」・・・09/1/13(火)

 土曜日は、「図工だいすき子ども美術展冬展」の搬出が終わり、一息ついた。が少々、腰が痛い。日曜日は、都図研ニュースやその他の原稿を書いてさすがに寝ていた。
さて、今週も忙しい。

image003.png 火曜日は、都図研研究局の局内授業(駒場小、金子先生)があるが、残念ながらぼくは参加できない。がんばってください。
 水曜日は、文京区の研究授業(金富小、奥先生)があり、鈴石先生が講師でいらっしゃる。
 木曜日は、「谷川俊太郎プロジェクト」の会議がある。いよいよ次の段階へつなげていく。
 金曜日は、府中で「都中美北多摩大会」http://totyubi.sakura.ne.jp/index.html
がある。そう言えば、都中美大会に参加したことがない。小中連携の時代なので、今回は参加して中学校の様子を視察したいと思う。

日時
平成21年1月16日(金) 10:00 〜 17:00
会場
府中市立浅間中学校(研究授業,分科会協議,研究全体会 )
府 中 市 美 術 館( 研究授業,作品展示 )
大会テーマ
人間力をはぐくむ美術教育 〜いま、求められる創造性〜
サブ・テーマ
豊かな「かかわり」を生み出す美術の授業

「図工だいすき子ども美術展冬展終了・搬出」・・・09/1/12(月)

image005.jpg 日曜日は、「図工だいすき子ども美術展冬展」の搬出があった。今年から、「図工だいすき子ども美術展」は、青山の「こどもの城」での秋展とCCAAでの冬展の2回興業となった。「秋展」は、若手中心で、「冬展」は、おじさんたち?中心という区分けが一応できている。
 もともと平成10年の図工の時間数削減にたんを発して、「図工教育」への認知度を高めようという趣旨のものとおこなわれはじめた展覧会である。10年を超える継続的な活動をおこなっているが、「時間数」は、依然、削減状態にある。(一度、改正された制度は、なかなかもとには戻らないことは、覚えていた方がよいであろう。)むしろ、機能としては、こうしたねらいに付随して、研修・研究の機会となっている。
 全員、手弁当で会費を払っての自主参加、労力も並々ならぬものがある。継続すること自体が、たいへんな活動であるが、会員自体も世代交代の時期を迎えているので、運動への主体的な意志を問い返しながら、活動していくことが大事であろう。
 それにしても、秋展、冬展とも、皆さんの力の結集で、企画運営され、子どもや図工のすばらしさを世間に訴えかけていることは、歴史的にみても稀有なできごとであろう。

 さて搬出であるが、当初、3時からの予定であったが、ポスターをみると、なんと、それが書いてない。「入場4時30分まで」とだけ書いてある。ということは、お客さんは、知らない。案の定、4時近くになっても、客足はなくならないのであった。
image006.jpg よって、急きょ、当初3時搬出の計画は、5時近くに延ばされ、搬出作業をおこなった。
搬入と搬出は、同じ、作業でも全然、意味合いが異なってくる。搬入は、場をつくっていく創造性があるが、搬出は、文字通りの作業である。みんなで、黙々とおこなう。自分の場所、共同の場所、自分のところが終わったら、適に他の場所も手伝う、物品の返却、清掃と、てきぱきとおこなう。みんなプロなので、あうんで活動している。安全に気をつけ、作品が壊れないように梱包する。(二日酔いの辰野先生も、がんばっている。その雄姿をみよ。座っている写真。)
 会場が見る間に変化し、もとにもどっていく。「ああ、すべての出来事は、うたかた」と実感する。物品を車に積み込む。学校に積み下ろしに行く人もいる。遠い学校は、八王子まで。
 約2時間強の搬出作業を終え、CCAAを後にした。

「冬展ワークショップ、約70名参加、満員御礼!」・・・09/1/11(日)

image002-2.jpg 昨日は、CCAAで「材料」のワークショップがあった。約70名くらいの参加者があり、ものすごい大盛況であった。やはり、「つくることは楽しい」ということあらためて感じたし、熱心さも感じたのであった。参加者の皆さんありがとうございました。

「金属」は、辰野、時任先生。カンを焼いてなまし、リベットで接合するもの。金属はなかなか珍しいので、一番にひとが集まっていた。ガンちゃんは、父さんも助っ人で、力が入っていた。抵抗感がたまらない材料である。準備もたいへんだけど。
「土」は、柴崎、横内先生。土を溶剤(ボンド)に溶き厚紙などにかいていくその質感がいい感じ。あまった粘土も活用するなど知恵も教授。
「紙」は高村、中村先生。高村先生は、自作の題材の再体験。中村先生は、小さな箱の庭。サークル上にしんみり活動する姿が印象的であった。
「木」は辻。木は普段やりなれているので珍しくない。まずはじめに子どもがやりはじめた。子どものつくりだす形と色はなんともいい感じだ。大人とはどこかが違う。みなさん、かわいいのつくってました。
「絵の具」は鈴石先生。この顔料は、鈴石先生が発見した発色のたいへんよい顔料。大人もやっていたが、幼児の制作をじっとみつめる鈴石先生は研究をしているようだった。

image004.jpg それぞれのコーナーを設け、1時から4時までの間に自由に体験できるものであった。全部まわって、体験しているひともいたし、一か所に集中して、みごとな「作品」をつくっているひともいた。教師ばかりではなく、子どもや親子づれ、幼児なども参加し、活動を楽しんでいた。300円の参加費はお得でした。(もしかして赤字かも・・・)

 それにしても「材料」は、子どもの表現、造形活動の根幹、基底をなすものである。ゆえに、「材料研究」は図工教師には欠かせない営みだ。材料をいかにとらえているかによって、題材や授業そのものが変化してしまう。授業が、うまくいかないとき、また、新たな開発をおこなうとき、「材料」を見つめ直すことは大きなポイントである。
image006.jpg ぼくたちが普段使っている「日本語」と同じで、「材料」は造形表現にとっては、当り前のことだ。この当たり前の材料を専門的にとらえるところに図工の先生の専門性がある。一般の人は、わざわざ材料の特性を調べたりしない。それは、ぼくたちが「日本語」の特性をいちいち調べないのと似ている。けれども、国語の先生、言語学者などは、「日本語」の性質や特性を研究し把握している。ただ「材料」を研究するといっても知識のみではなく、自身の身体的な感覚を動員しながら、その性質や特性を子どもの表現に関係づけて、把握することが大事だろう。もちろん楽しさも感じながら。
今日は「冬展」の搬出。15時から。

「本日は、CCAAで材料のワークショップ」・・・09/1/10(土)

image002-1.jpg 土曜日の今日、13時から16時まで「ワークショップ」(場所、CCAA)がある。いろいろな材料の体験コーナーを設置した。ぼくは、一応「木」ということなので、図のような「木のにんげん」をつくるコーナーを設けた。案外、簡単で、かわいいものができます。図工室や家に飾ってもいいかんじ。それからたった300円で、すべての材料コーナーが回れます。
今日みたいな寒い日は、家でじっとしていてもつまらない。若い活動的なあなた!元気に外にでかけよう。ちょっと立ち寄ってから、遊びに行っても楽しいのでは。お待ちしております。(ポレポレ東中野では映画『こどもの時間』(監督、野中真理子)もやっています。確か開演が7時頃からだから、ちょうどいい時間ではないですか。TOPにご案内が載ってます。)
 三学期の「教材」を考えるにもちょうどいいかもしれない。

「窮乏と東アジア」・・・09/1/9(金)

 朝、家を出ると世界がもやっていた。雨のせいか?なんのことはない、メガネをかけ忘れたのだった。
昨晩から今朝にかけてインターネットが不調でつながらない。調整に手間取り、慌ててでたのがいけなかった。アワテンボウの皆さんも注意しよう!

 ところで、哲学者の内田樹さんが「窮乏と東アジア」ということを言っているらしい。(朝日新聞、09・1・8)。内田さんの大学の女子学生の面接からの話だ。そこでの研究テーマは以前のような「ファッション、美食、ブランド」といものがゼロだそうだ。つまり、消費社会というイデオロギーは若い女性の間で急速に力を失いつつあるらしい。
また、ブランドなどの虚構にも疑義の視線をもったり、メディアに対してもクールであったりする。
さらに、東アジアに対してそこで起こっていること・・・・「ストリートチルドレン、麻薬、人身売買、戦争被害、テロリズム」などに興味(研究テーマ)が向いているらしい。こうした傾向は、内田さん曰くSN3E0086.jpg「人権擁護のインフラが整備されていない社会で人はどう尊厳ある生を生きることができるか?」という問いに換言できると言う。
絶えず人をもの化し、消費の対象としてしか扱わない社会の有り様のなかで、切実に生きようとする姿勢がそこにあると考えられる。

 また同日の他の記事で、CCAA で教室を開いている舞踏家の中嶋夏さんの舞台について載っていた。知的障害者と舞踏家が競演する「もうひとつの共和国」。加藤啓先生も出演する。(彼はもともと舞踏家だったのだ)
 10日午後7時から。11日、午後2から。場所、「あうるすぽっと」(豊島区東池袋4丁目)。問い合わせは「霧笛舎」(03・3565・2261)。

「菅原HP担当が、がんばっている!」・・・09/1/8(木)

 「ひつじ日記」から「ひつじ日和」へとここ2年間、毎日HPに掲載してくれているのが菅原先生。
 並々ならぬ根気と辛抱強さ、そして、迅速な対応と・・・現在の「とずけんどっとこむ」を図工関係の最高の情報メディアにならしめている張本人である。
image002.jpg 昨日、HPの扉も、デザインを一新してくれた。いままでのアーカイブの写真をパズルのように組み合わせていて、時間とともに、ずれていく構成がなかなか面白い。
 そして、その他のページもよくみていると、少しずつ新しいバージョンや新しい記事の更新がなされているのであった。菅原先生、ありがと〜〜〜〜う。今年もがんばってね。(ほんと都図研の活動は、老若男女の皆さんの力によって成り立っています。)

都図研のHPは、どこか深い森のようで、いろいろなものが隠されている。それらは、たんに「引き出し」を開けて中をのぞくといったようなものではない。
 引き出しの中にさらに引き出しがあり、またその引き出しは、どこかにつながっているというような複雑な層をつくりだしている。(じっくりみたら時間かかりますよ)
 こうした構造は、インターネットで調べ物をしたり、遊んだりしていると、どんどんいろいろな世界へ、連鎖的に導かれていく感じの構造とおなじである。
だから「とずけんどっとこむ」は、完結した実体のようなものではなく、「駅」のようなものかもしれない。
どこからか来て、どこかへと導かれていくその途上に出現する「駅」かもしれない。線路は、どこまでも続いている。皆さんは旅人だ。
 もうすぐ40,000アクセスが迫っている。アクセスしていただいている皆さんにもありがと〜。

「飛行機雲・主語のある語り」・・・09/1/7(水)

image003.jpg 空をみあげると飛行機雲が・・・・。「確かユーミンの歌にあったな」などと思い起こす方も多いかもしれない。が、現在では、「CO2があの飛行機雲には、どのくらい排出されていて、コストはいくら?」と想起する人も多いだろう。同じ事象でも、視点をかえると見え方も変わってくる。
 2050年までにCO2の排出を規制しないと温暖化、それにともなう災害、またコストがたいへんなことになるというもので、各国間の協力した対応が必要であると述べているのが「スターン・レビュー」。
 確かに、寒くない冬、かなり暑い夏、台風の多さなど、なんだか肌で気候の変化を感じるし、自動車業界なども電気自動車を開発している。

 昨日のTV番組で、コピーライターの糸井重里さんが、いろいろな社会問題を語る際に「語り手」のことばのなかに「ない」のが「主語」である、と発言していたのが気にかかった。確かに「主語」がないとたんなる知識で語っているだけで、実行性もリアリティも薄いだろう。
 図工のよいところは絶えずこの「主語」にかかわる部分があるということであろう。

○環境省HP

  • http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=8046

○スターン・レビュー「気候変動の経済学」の日本語版

  • http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=9176&hou_id=8046

「60周年記念誌最終入稿あんど10日のCCAA ワークショップ」・・・09/1/6(火)

 今朝、玉置先生は印刷所からの最終校正原稿を入稿した。昨晩、メールでぼくのところに送付されてきたのだが、印刷所のアドレスが開けないのであった。ぼくのパソコンはどういうわけか、夜はインターネットのアクセスが悪い。9時前後は最悪で、つながらない。真夜中と明け方は調子がいいので、接続会社のせいかもしれない。今どき、回線がいっぱいということがあるのだろうか?ということで玉置先生はがんばって頭を「爆裂」させながら一人で、記念誌をしあげてしまった。まじすごいですね。ありがとうございました。来年度は編集、HP関係は補強しないといけませんね。
 まずは23日の落合第六小学校の60周年記念公開授業で配布しますのでお読みください。

SN3E0079.jpg また10日土曜日には、CCAAで図工だいすき子ども美術展のワークショップがある。「土」柴崎、横内。「金属」辰野、時任。「木」辻。「紙」高村、中村。「絵の具」鈴石の各先生が担当でおこなう。参加費はたった300円。新年がてら、CCAAまで遊びに来てはいかがだろうか。「冬展」のおじさんたちの指導作品の提示もみれます。結構、参考になると思います。特に女性の若い先生は辰野美奈子先生などはよいモデルになると思います。ちなみに辰野先生のニックネームは「かあちゃん」あんど「ガンちゃん」。正月ボケの人、まだCCAAに来たことない人、ご無沙汰している人、お待ちしてます。

「いよいよ学校はじまりますね&メタ写真」・・・09/1/5(月)

 日曜日は、最後の冬休みとなった。年休もいろいろな「出張とならない出張」で使っているので、残り少なく、月曜日から勤務である。一週間休むと生活リズムが変化するので、勤務にリズムに戻さなくてはならない。ぼくは、下戸なので、さほどでもないが、「のんべえ」の皆さんは、享楽的な正月生活からのギアチェンジはたいへんですね。でも、がんばりましょう〜。

image006.jpg ということで、日曜日も散歩に行った。最初の「写真」は、家の近くの石神井川。太陽が逆光して、川面に反射してうつくしい。そう言えば、30年も昔の大学時代に1年間だけならった榎倉康二先生の写真にも、道路が光で反射しているのがあったな〜などと記憶が蘇ってきたのであるが、さらに、そう言えばと・・・家に帰ってから、昨年末に買った写真集をみてみた。

 現代美術家、高松次郎の『PHOTOGRAPH』(2008年発行、株式会社赤々社)である。
 普通「写真」というと「記念写真」や「記録写真」のように対象を再現し、とどめておこうとするものであるが、高松の写真は、家族や身近な風景の写真が、わざとくしゃくしゃにされていたり、どの写真も反射光が光っていたりと、被写体が、なんであるかわからないようにしておきながら、さらに写真に撮った作品?なのであった。

image008-1.jpg ぼくたちは、普通「写真」をみるとその内容に目がいく。美しいとか、あれはなんだとか・・・・でもここでは、写真のそうした機能が、無化されているのであった。というか、そこには、対象が不分明なことによって、逆に、写すという活動それ自体が、浮かび上がってくるのであった。これは「メタ写真」という名の「写真」かな?でも、その写真は、いまみると、たんに観念的ではなく、けっこううつくしいと感じるのであった。それは、たぶん「光」のせいかもしれないし、よくは見えないが生活のようなものを背景に感じるからかもしれない・・・。

 光は、ものを見せてもくれるが、対象を見失わせ、消し去ってしまう作用もある。そんな光の両義性は、けっこう興味深いな。

「リア充・リアリティーに飢える人々」・・・09/1/4(日)

 新年に入ったが、大みそかの「朝日新聞」(08.12.31)で、社会学者の見田宗介(みた むねすけ)は、08年は大きな時代の転換点になったのではないかと述べている。

 見田は、1968年に起きた当時19歳の永山則夫の連続射殺事件と2008年の秋葉原の無差別殺傷事件とを比較し、現在の時代の空気を分析してみせる。
 これらの二つの事件は共通するものも多いにもかかわらず核心部分は、まったく対照的であると述べている。
そこには、「貧困」「格差」「階級構造」などの問題が横たわっているが、真の問題はそんなところにはなく、犯罪の核に、「実存的な生き方の問題」が潜んでいて、その実存的な中身の核が、この二つの事件では、正反対であるとしている。
 永山の場合は、未来の消滅があると述べている。希望に胸を膨らませ上京した永山の未来への度重なる挫折、その可能性の遮断が犯罪へと連動しているとする。
一方、秋葉原事件場合は、東京へのあこがれは、はじめからなく、とりあえず安定した生活をするために国内を転々とする。そこには現代の若者と同じように、未来への想像力はほとんどない。永山にあったような夢や未来はないのである。

 さらにもうひとつのちがいは、「まなざし」に関してだが、永山の場合、中卒、貧困家庭、青森弁など世間の「まなざし」が鳥もちの様にまとわりつき自由に生きることを許さなかった。一方、秋葉原事件の場合は、正反対に「まなざし」の不在の地獄だとしている。本人が犯行をネットで予告しても誰にも相手にされない。それは、誰にも相手にされない「まなざし」の不在に耐えきれない犯行と考えられる。

 「シカト」(無視していじめる)ことばが、使われ始めたのが80年代頃からで、今や日常語として定着している。その頃、文学では、村上春樹が「空気が薄い」ということばを使っている。
 大きな意味で「空気が濃い時代」と「空気が薄い時代」があると見田は述べる。
 永山の事件から、秋葉原事件への推移は、戦前の共同体の「濃すぎる社会」から、戦後の近代化を経た「薄い」時代へと変化し、さらに「薄くなりすぎた」という問題が出てきているのだとしている。

 こうした時代の変化に際して、見田は戦後の時代を次のように特徴づける。

  • 「理想の時代」敗戦から60年代まで。人々が理想に生きようとした時代。
  • 「夢の時代」高度成長が完成した70年代前半までの時代。
  • 「虚構の時代」ポスト高度成長期の90年代前半までをもうリアリティを愛さない時代。
  • 「バーチャル(仮想)の時代」バーチャルというポジティブなイメージの中で、電子メディアの発達にともない、古典的な現実に代わって、幸せにやっていけると虚構に居直った時代。

 このように時代の変化を特徴づけながらさらに、秋葉原事件の犯人が、ネットの中で自分と反対の立場にいて敵とみなしたものを「リア充」と呼んでいることに注視している。
「リア充」とは、生活や人間関係の「リアリティが充実している人たち」のことである。敵とは己の願望の裏返しである。
 そして、秋葉原事件は、この国に多いリストカットに似ているとする。そこにあるのは、切ることの痛みや血の流れによって、生のリアリティを得ようとする「リアリティへの飢え」であるとしている
 「リストカットとは、自らの内側に向けられた無差別殺人かもしれません」と見田は述べるのである。

このような意味において「薄くなりすぎ、また、仮想世界に居直ったバーチャルな時代の中で、リアリティというか、古典的な現実への飢えがこの国に充満し始めたことが明らかになり、バーチャルな時代が臨界点に達した」ということを秋葉原事件は象徴していると述べている。

 また「出口」はあるかとの問いに、例えば、旅行にしても最近の若者は、たんなる観光旅行よりも、現地で人の役に立つ活動が入るとひとが集まるという。これもリアリティの飢えだが、人を殺したり、傷つけたりすることとは別のやり方で、生きるリアリティを充実する方法をみつけることができれば、もうひとつ新しい時代が開かれると思うと、述べるのであった。

 ぼくは、この記事を読んで「なるほど」と、納得するとともに、図工やARTは、身体感覚や共同性、コミュニケーションという視点から、「生きるリアリティの充実」について一貫して提言、主張してきたのではないかと思うのであった。新しい時代を開いていくカギがそこにあると思うのだが・・・・どうだろうか?

「元旦・墓参り・・・」・・・09/1/3(土)

image001.jpg 正月の過ごし方は、ひとによって、家庭によって、また、地方によってまちまちであろう。
 先日、TVをみていると北海道では「おせち料理」は、大みそかに食べてしまうとのことであった。正月は、雑煮などで過ごすという。また、「雑煮」なども味噌系、醤油系など、地域、家庭で味付けがだいぶちがう。
 最近は、コンビニなどは年中無休だったり、休みも「三が日」が終わると営業開始だったりと、70年代の頃と比べるとずいぶんせわしくなったように感じる。
 親戚が集まりわいわいやる家もあるだろうし、静かに過ごす家もあるだろう。鈴石先生などは、CCAA開設以来休みなしで、この三が日だけが休みだという。ゆっくり休まれたであろうか?また、玉置先生は、「記念誌」入稿に続いて、「2008年度都図研活動報告」の「編集のページ割の計画」が年末、昨日とメールで届いている。(休みなしですね。ありがたいことです。)都図研のそれぞれの皆さんもどんな正月を送っているだろう?
 ぼくのところは、2日に「墓参り」にいった。寒かったが、たいへんいい天気で、空が抜けるようであった。なにも信心深いわけではなく、盆と正月は、母親のお供というところである。
 思うに、「葬式」は仏式、「正月」は、神道と、だいたいの家庭は入り混じった状態ではなかろうか。
 「門松」「注連縄(しめなわ)飾り」「鏡餅」など、正月の必需品だが、注連縄飾りのひらひらした紙は、聞かれても「名称」がわからなかった。相撲の横綱などが、まわしにつけているものだ。調べると「紙垂(しで)」というものらしい。結界を示すもので、流派によってつくり方も異なるようである。
 「習慣」は、個人的な行動様式の定着だが、それが集団に共有されると「慣習」となる。が、いろいろな慣習的な行動に関してよくわからないことが多い。

「元旦散歩・空地あり・・・」・・・09/1/2(金)

image002-1.jpg お正月の東京の空はたいへんうつくしい。寒くて空気が透明なこともあるし、車や工場が操業を停止していることもあるのだろう。
 たわわに実が実ったままの柿木があった。都会では柿木は少なくなったが、実がなっても当家の主人は、収穫せず鳥の餌にしている家が多い。

 どんどん歩いていると大山駅近くの空き地に出た。ここは、「養育院」?「東京都老人医療センター」?確か、放浪の画家、長谷川利行(1891〜1940)が死んだところだ。(ぼくは「りこー」と呼んでいたが「としゆき」がほんとらしい)
image004.jpg 利行の年譜を調べると・・・1940年 5月三河島の路上で倒れて、「東京市養育院」に収容される。10月12日死去。享年49歳。愛知県立美術館の作家解説をみると次のような記述がある。

彼の日常は、窮民街にある簡易宿泊所に寝泊まりし、酒場やカフェ、演芸場に立ち寄って描き、作品はすぐに換金して酒を飲むといった状態であった。そのような中で彼は下町の情景やそこで生活する人々の姿を、奔放ななかに詩情をたたえる作風で表現し続け、しだいに純化された世界をつくりあげていった。やがて健康を害し東京市養育院に収容された年の10月に亡くなった。

(http://search-art.aac.pref.aichi.jp/p/seisaku.php?AI=ART19970335)

 「東京市養育院」という名称はもうない。2000年(H12)に「東京都養育院条例」廃止により消滅したらしい。「養育院」は、もともとは、明治5年ロシア皇太子来朝に際して、明治維新で、東京にあふれていた、窮民、浮浪者、ホームレスを囲いこむための施設であった。
財界人「渋沢栄一」は、1874(明治7)年より養育院の運営に関与し、院長として終生その存続・発展に努めている。なかなかすごい人物だ。「養育院」は、近代日本における福祉発祥の施設であった。
家に帰ってからPCで調べていたら、『東京市養育院月報』という歴史資料があるらしい。そのコメントによると、「本誌は、近代日本社会においてもっとも日の当たらないところにあった人々を救済する機能を果たそうとした東京市養育院の機関誌である。社会体制の崩壊と飢饉・災害によって多くの人々が拠り所を失い、貧困と飢餓に瀕した19世紀末。首都東京で困窮にあえぐ路上生活者や知的・身体・精神障害者、身寄りのない高齢者・子ども、ハンセン病患者といった近代日本の最底辺層のひとびとの生きざまを語ってやまない貴重資料!」とある。
(http://www.fujishuppan.co.jp/kindaishi/toukyoushiyouikuingeppou.htm)

 2000年代に入って、急激な市場経済至上主義が席巻し、福祉、教育、文化に波及するが、「養育院」の廃止もこうした流れの延長線にあるのだろう。
 「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一が、富、利益の分配が全体へと還元されるべきだと考えていたことは興味深い。

「今年の抱負・場としての都図研」・・・09/1/1(木)

image001-2.jpg 新年が明けた。個人的には、50数回目の新年ということになる。都図研会長に就任してからは、3年目が終わろうとしている。
ひとは、時間とともに生きるが、個人史と社会的な歴史が交差するところに、さまざまな意味や出来事が生まれる。というか、個人は単独で成立するわけではない。他者や外部との絶えざる関係、かかわりによって成立する。
1月23日には「創立60周年記念公開授業」がおこなわれる。その際に配布される『都図研創立60周年記念誌』のなかの「祝辞」で、奥村高明先生は、次にように述べている。

 そして、これからの六〇年を考えたときに、求められるのは何だろう。このとき「都図研は、」と語ってしまうとどうしても内向きの力が働いてしまう。あたかも「都図研」を物のように実在化してしまう。そこで、「都図研」を実体として考えないことを提案したい。「都図研」は、その時代、人、出来事など、様々な相互行為によって形成されるコミュニティではないだろうか。開かれた場所、実践、出会いなど、環境とともに生きる生き物といった方がいいかもしれない。

(『都図研創立60周年記念誌』P2)

 奥村氏は、このように都図研を実体としてではなく、一種のコミュニティ、つまり、社会的な機能が顕現する「場」としてとらえている。
 こうした場・コミュニティが有機的に成立するためには、多く皆さんの前向きな理解と努力が必要なことは確かである。というよりそれなくしては、ことは成り立たない。し、この3年間、都図研スタッフは、それこそ死に物狂いで活動してきた。ぼくは、こうした営みに対して強い感謝の念を抱いている。
「60年」先では見通しをもつにはちょっと長すぎるかな。当面は、後残りの三か月。来年の一年間。さらに、10年後の学習指導要領の改訂が、活動の目安となるだろう。想像力と創造力をもって活動にのぞみたいものだ。
今年も、内外の皆さんの協力を得ながら都図研の活動を推進していきたいと思う。よろしくお願いします。