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左に並んでいる黒丸を押すと、画面が変わります。(辻先生の授業をアップしました。)

お詫びと訂正のお願い

理事会で配布した都図研60周年記念公開授業とレセプションのチラシに掲載した都図研事務局の電話番号の訂正をお願いいたします。

正:03ー3950−4717


 都図研創立60周年を記念し、図画工作科の研究の流れと今とこれからを考える場として「過去から現在 へ 、そして未来への予感 」をテーマに公開授業とパネルディスカッションを開催いたします。 
 今までの都図研の歴史を振り返り、研究局の活動を中心に造形教育の今日的課 題から、研究を新しい目で捉え検証いたします。

ご挨拶  

SANY0104.JPG 昭和23年に創立した東京都図画工作研究会は、本年度で60周年を迎えました 。この長い営みは、これまで、日本の図画工作科の教科研究に偉大な足跡を残してきました。これは諸先輩の努力の成果です。都図研の先生方の営みの底には、いつも「子どもをみる目 」「自主的な精神」「図工の専門性 」がありました。 このよき伝統は、未来にむかって継承していかねばならないものです。
 この度、創立60周年を記念して『過去から現在へ、そして未来への予感 』をテーマに公開研究授業とパネルディスカッションを企画しました。公開授業では、文部科学省の奥村高明先生並びに都図研前会長 、鈴石弘之先生の特別授業と現都図研研究局の、世代が交差するような場を設定しました。子どもの豊かな育ちと図工のかかわりをめぐって真摯な交流をおこない 、未来を切り開いていきたいと考えたからです。また、都図研の実践と精神が俯瞰できる資料として創立60周年記念誌を作成しました当日配布致しますので今後の指導に生かしていただければ幸いです。 
 最後になりましたが 「 創立60周年公開授業」を開催するにあたって、日頃よりご支援いただいている文部科学省、東京都教育委員会、東京都小学校教育研究会連合、東京都公立小学校校長会、東京都小学校 PTA協議会等の関係諸機関、団体の皆様に感謝するとともに、会場をこころよく提供していただいた八田瑞穂校長先生をはじめとする落合第六小学校の教職員の皆様に心より御礼申し上げます 。

東京都図画工作研究会 
会長 辻 政博

ピクチャ 1.png

パネルディスカッション 

14:50~ 体育館 

テーマ

『過去から現在へ、そして未来への予感』

パネラー

奥村高明先生 

(文部科学省初等中等教育局 教育課程課教科調査官 )

鈴石弘之先生 

(都図研前会長・CCAA代表)

辻政博  

(都図研会長・文京区立誠之小学校) 

岡田京子  

(都図研研究局長・町田市立町田第四小学校)

コーディネータ 

南育子  

(都図研副会長・墨田区立堤小学校)

告知のチラシ

画像をクリックすると拡大します。

1.pdf

2.pdf

創立60周年記念パネルディスカッション(2009年1月23日 新宿区立落合第六小学校にて)

◆テーマ
「都図研スピリッツ〜過去から現在へ、そして未来への予感〜」
◆コーディネーター
南育子先生(都図研副会長、墨田・堤小)
◆パネラー
奥村高明先生(文部科学省教科調査官)
鈴石弘之先生(前都図研会長、CCAA代表)
辻政博先生(都図研会長)、文京・誠之小)
岡田京子先生(都図研研究局長、町田・町田第四小)

南:最初にご出演のパネラーをご紹介したいと思います。
奥村先生は、昨年「新学習指導要領」が告示され、お忙しい中を、授業とパネルディスカッションにご参加いただきました。都図研の大会や研究・研修会では、講評、講演いただき、都図研に影響を与え、都図研にとってなくてはならない方で、都図研をつくっているおひとりといっても過言ではない方です。
鈴石先生の図工教育の理念・実践は、現在でも都図研の図工教育の根底に流れていると思います。都図研会長の激務を二期に渡り勤めてこられ、今はNPO法人市民の芸術活動推進委員会(CCAA)の代表として、国内はもとより海外までも活動を展開されています。また、「寺子屋」という塾を開設し、若い図工教員の研修の場をご提供いただいています。
辻会長には、自ら授業を公開していただきました。今から14年前に、都図研に研究局が開設されましたが、このとき組織に研究局を位置づけた会長が鈴石先生で理事長が辻先生でした。今日は特にこの会を運営しながら挨拶もして、ご本人も出過ぎでないかとおしゃっていましたが、パネルディスカッションにも4年生の公開授業にも参加していただきました。
都図研の研究を推進している研究局長の岡田京子先生です。2年生と3年生の授業は都図研の研究局で授業を行いました。「子どもの夢中へとつづく道」のテーマで、授業実践、授業研究から子どもの姿を読みとり授業の検証を繰り返し、若い局員とともに研究を進めています。

さて、ここにできたてのほやほや「都図研スピリッツ」(60周年記念誌)があります。都図研の魂の一冊といえるでしょう。
「スピリット」というと思い出すことがあるのですが、ラインホルト・メスナーという登山家が無酸素でエベレスト登頂達成したときに「意識がもうろうしてくると幻覚が見えてくるのだけど、人間の可能性を最大限引き出すには、<マインド(心)><ボディー(身体)><スピリット(魂)>の調和が必要だ」と言っています。これは特に天才的な登山家に与えられた特別な言葉ではなく、様々なことに置き換えることができると思います。
都図研の「スピリット」は、子どもを中心におき子どもに寄り添いながら、造形を通して何ができるのか常に考え、現場を舞台に題材研究をする「実践家集団の精神」です。そして、「ボディー」は都図研の「有機的で行動的な組織」と言えるのではないでしょうか。また、「マインド」はこの組織と研究を運営し進めていく人の「心意気」とでも言うのでしょうか。これからの都図研をつくっていくのも、これまでの都図研をつくってきたのも、たくさんの真摯に図工教育を考えてきた人たちです。
特に近年の教育改革など激動の時代には、教育現場というジャンルを越え、多くの方との連携を深め、数々の刺激を都図研はいただいてきました。
これからの時間は、今の図工教育を各パネラーの方々から、授業にふれながらお話いただき、今後の図工教育・都図研の展望へとつなげていきたいと思います。机には画用紙とペンを用意しました。「キーワード」をお書きいただき、それについて話すスタイルでディスカッションを進めていきたいと思います。では、最初の設問です。
南: 

設問1

授業を行う際、または今日の授業で大切にされていることは何ですか?
ひとつに絞りキーワードでお書きください。
そのキーワードについて、今日の授業の内容を具体的に取り上げご説明ください。  

岡田:「夢中」    
奥村:「行為」
鈴石:「筋肉」
辻:「感じる」

南:一年生を授業した、鈴石先生からお願いします。

鈴石:「筋肉」です。普段、使っている画用紙はサイズが決まっている。なんでこれに描かなきゃいけないのか。そこで段ボールを使い画面を大きくしました。すると、必然的に筋肉が動くんですね。腕の筋肉だけでなく、足も、体全体も動く。筋肉が考える。皮膚が考える。それから脳が考える。現在教育は、逆に脳から末端の筋肉にという方向性になっていないだろうか。今日も、一人の少女が、最後に絵の具をたたきつけていました。感情が高ぶり、そこから動きが生まれる。感性です、感情です。形はどうでもいい。

岡田:今日は、研究局では2年生、3年生の授業をしました。横道先生と柴田先生が行いました。研究局は、「子どもにアートが生まれるとき」をメインテーマに研究しています。今年度のサブテーマは「子どもの夢中へとつづく道」です。授業の中で子どもが夢中になると嬉しかったり、そうでないと「なぜだろう?」と思ったりしますよね。それが教育の中でどのように語られていくかわからないのですが、子どもが夢中になることは、大事なことなのではないかと考えています。
研究局員に「夢中について」4月に問いかけることから今年の研究は始まりましたが「子どもの夢中」は、「子どもの自発的な活動」と切り離せないものだと思います。横道先生の授業では、紙コップにはさみをいれることによって、違う形になることをきっかけに、子どもにとっての意味が変わってくることを中心に設定しました。柴田先生の授業では、軍手が自分の手と一体になること、すなわち、作品と自分とが一体になることを中心に授業を展開していきました。手は身近にあるのですが、あらためて手の形をみるとおもしろいなあ、というところから始めています。
ここに書いた「夢中」というキーワードは、「子どもが図工に夢中になって欲しいな」という思いと、「私たち教師が図工というものに夢中になってほしいな」という期待をもってキーワードを書きました。

辻:僕は「感じる」と書きました。先ほどの4年生の公開授業中に、内野先生がいらして、「何十年も前に見たことがあるな」と言われたのですが、それは、1982年頃ですが、体育館で紙をつないで天井に上げる授業のことをさしていました。教員になったばかりのときでした。「上手な絵を描かせることがよい指導」、「教師が思い描いている事に子どもを沿わせていくことがよい指導」とされていた時代でした。どうもそうした考えになじめなくて、違和感があった。「子どもが自身が感じること自体が大切だな」と。今でも図工は子どもが何かを感じる時間と場所であってほしいと思っています。今日の授業の最後に、体育館の床に寝ころんで上を眺めてみました。すると、今まで見たことのない景色が見えるのを楽しんでいる子どもたちの姿がありました。子どもたちがとても素直で、楽しくできてよかったと思います。僕は昔から変わっていません。

南:図工や子どもをみる教師の思いも伝わってきますね。
次に奥村先生、今日の活動も具体的にとりいれながらお話をお願いします。

奥村:授業で大切にしていることは「行為」です。鈴石先生に似ていると思います。
    行為から広がっていくことを大切にしたいと考えています。無理はいやだなあ。すべったら、すべったでいいかなあと・・・(笑)。無理をして強引に授業を進めるのはいやで、子どもの行為から次の活動が生まれるというように、流れていくことを大切にしたいと思っています。
子どもの行為がどんどん起こっていくように環境を準備したり、手助けしたり、時に教えたりすることが教師の仕事だと考えています。そのような意味で「行為」を大切にしたいと思い、書きました。

南:鈴石先生は1年生、奥村先生は5年生の授業をされたのですが、さきほど鈴石先生は「感情が高まると筋肉が考え出す」というお話でしたが、高学年の中にも、筋肉から身体全体で針金と格闘し考えている様子が見えました。高学年の活動は、思考中心に捉えられがちですが、そのあたりのつながりをお話し頂けますか? 行為の身体性について、いかがでしょうか?
鈴石:低学年も高学年もあまり変わらないと思う。実は今読んでいる、1945年に出版された「こども学」という古い本に面白いことが書いてある。それには「子どもは胎児の世界から出産までの間に哲学的な生苦を味わうんです。それが、生まれたとたんに、それまでの叡智がすっとんでしまい、改めて学習し直している」と書いてある。胎児であれ、老人であれ、変わらないというのがぼくの結論です。

奥村:発達の段階に応じて身体性は変容すると思うが、階段をのぼっていくような感じではない。身体の有り様は基本的には同じなのですが、ただ、違っているところもあるので。
私の今日やった5年生の授業は、1年生には無理です。なかなかラジオペンチで針金を切れませんから。高学年らしい発達の段階に応じて、悩んだり、困ったりするのでしょう。

南:お二人のお話は、“触覚的”ということでつながるのではないでしょうか。「針金という素材」は、子どもの世界の広がりと捉えていいのでしょうか?

奥村:高学年に適切な材料で、子どもが思考を広げることができると思います。世界を広げるという訳ではない。
今日は、どうして私が授業をしたかというと「都図研の60年の歴史に敬意をはらいたい」ということです。
また、どういう理由で「針金」を素材とした授業になったのかは、「新学習指導要領」で高学年の材料用具の扱いに「針金」をいれたからです。「それじゃ、やるしかないよね」ということが裏話としてあります(笑)。
南:  

設問2

研究大会などで、奥村先生や鈴石先生が、じーっと子どもの様子を見ていらっしゃる姿を見受けますが、授業の中で子どもの活動を読みとるときに一番大切にしていることをお書きください。

岡田:「子どもが見つける」
奥村:「〜から」
鈴石:「ゆれ」
辻:「『モナリザは怒っている』」

岡田:「子どもが見つける」と書きました。子どもが絵の具を混ぜて、全部混ぜている姿をみて、「この子はどんなことを見付けたんだろうなあ」と考えると、そのことの意味や深さを感じることができます。
授業をみるときは、「子どもが何をみつけているのかなあ」と考えながら見ています。それを見つけるためには、私たちが授業の時にひまじゃないとみつけられない。ですから、それをみつけるためには、私たちが授業の時に子どもを見つけられるような、題材設定をすることが大切だと考えています。

奥村:「大会などで授業を見る」のと「授業している時に見る」のとでは違います。
授業者として造形活動を読みとることは、子どもの行為から「今、この子は何を考えているのかな」とか「(授業を)どう終わろうかな」と、いうことですね。授業者としては、子どもの行為から「進め方」を考えたりして見ています。
参観者としては、子どもの行為から、「ねらいがどのように達成されているか」などをみます。学習指導案との関係になるのですが、行為「を」ではなく、あくまで「〜から」見ることが大切です。

鈴石:「ゆれ」です。直感的に書きました。進歩主義的に考えるのではなく、そんなに(授業が)うまくいくわけないよ・・・と思っています。
子どもは教師の思わくに乗らない。昔ある人が「教師のイマジネーションを子どもはあっという間に超えてしまう」と言いました。それが子どものすごいところだと言うんですね。
出会うとわかる。子どもは、素材に出会うと、「ゆれ」ます。「初めて」のことばかりですから。今日の授業でも、大きな段ボール与えられて、描けと言われ、子どもはたいへんな思いをしている。「初めて」のことばかりですから。それに乗せるのが商売だといわれればそれまでですが。
今日の授業が成立しているとすれば、子どもの「ゆれ」があったことです。僕は、止まっている子どもが大好きです。その子は、もしかしたら一生懸命考えて、表現方法がみつからない状態なのかもしれない。「脳みそ」で思考しているんでしょうが、その状態から、動き出すところを見たい。たった45分でも、子どもには様々な「ゆれ」がある。一人一人が違う「ゆれ」がある。「それを見る努力をしなければいけないなあ」と僕は思っています。

辻:「『モナリザは怒っている』」と書きました。これは、奥村先生が出された鑑賞の授業の本です。
(『モナリザは怒っている!?鑑賞する子どものまなざし』淡交社3990円)普通、中学校では「モナリザは名画である」と話をされるが、奥村先生は、「モナリザを目だけ見ていると怒っているように見える」と言っています。子どもは「部分」で見ているので、怒ってみえるのは当たり前だと。子どもの見方を無視してこれまで鑑賞教育はなされていなかったかと問いかけています。
その本のDVDで北海道の森實先生が鑑賞の授業をしていますが、意味を押しつけず、子ども自身が自分で意味を見つけていく様子が映し出されています。
柴崎先生が「指導案なんて書かなくてもいい」と言ったことがあります。過激な言い方ですが(笑)、それは、指導がその目的に子どもを収束させていくからで、絶えず、目の前にいる子どもが、何を考えて活動しているのか、その場その場の動きを見ながら対応していくことが大切ではないか、というわけです。ものごとにカギカッコ(『○○○』)をつけて、既成概念にとらわれないで、子どものしていることをありのままに見ていくことが大事かと思います。ぜひ購入して、ご一読ください。(笑)


南:4人の先生方のお話の共通点は、「授業は、子どもを枠の中に納めるものではなく、子どもが主体的に活動していくように題材や環境を組み立て、つくっていくことが大切だ」ということですね。それには、「子どものありのままの姿をみる努力」が必要ですね。さて、次の設問に移りたいと思います。

設問3

そのような子どもの活動を通し、子どもたちに何が培われるのでしょうか?カードにお書きください。

岡田:「生きていくことが楽しい」
奥村:「生きる力」
鈴石:「自己表出力 自由」
辻:「自分で見つける」

辻:これまで、いろいろな素敵な先生に出会ってきた。とても個性が強くてというか豊かで、子どもをぐいぐいひっぱっていく先生ってすごいなと思いました。でも、僕はそういうことができないんですね。僕は「空気」みたいに、いるかいないかわからない存在になりたいなと思っています。図工で育てるものに、生きる力とか、想像する力とかいろいろ答えはあると思うのですが、そんなことは教えられない。教育というのはあまり「過信」してはいけないなと思います。場と時間は保証するけど、最終的に子どもに自分で見つけてほしいと思っています。

鈴石:半月ほど前のNHKのBSで吉本隆明氏が、記念講演をやっているところを見た。彼は、「自己表出」と「指示表出」を対比してしゃべっていた。「自己表出」は「あっ、きれい!」と自分が思うことです。「指示表出」は「・・・さん、きれいですね」と説明することです。
現代の教育は、「指示表出」で育てることに力を入れているが、僕は「自己表出」が大切だと思っている。「自己表出」は木の幹で、「指示表出」は枝葉であると思う。現代人はそれを忘れてしまっている。
一年生の方が「自己表出」は優れている。図工の教育で培わなければいけないのは、「自己表出力」を培うことだと思う。「自己表出力」は、結果、自分の問題に立ち向かっていく力にもなる。少なくとも、「痛い、悲しい、美しい」と言い切れる子どもがたくさんいてほしいと思う。

奥村:「生きる力」。これは模範解答かな(笑)。昨日、このメンバーで集まって、今日のパネルディスカッションの打ち合わせをしたのですが、その時は、「キーワードは2〜4文字で・・・」ということだったのですが、見たらだれも守っていない!(笑)これにはなんの補足もいらないでしょう。図工に限らずいろいろなところでこれが培われるのが学校教育です。

岡田:「どう書いていいかわからない」というのと、「何が培われるのが考えながら授業をしなければいけない」という両方の思いから「生きていくのが楽しい」と書きました。やっぱり授業の経験を通して、今日の4年生の子どもだったら布を裂くことや、結ぶこと、天上を床から見上げた経験は、豊かな人生を送ることにつながるのではないかと思います。
今、生きていくことがつらい人も多い世の中なので、景色や作品など、ちょっとしたことに立ち止まることができる人になってほしいです。それは図工での経験とつながるのではないかと思います。友達との関係との間で自分が生まれると、わかってもらえたらもっと人生楽しいかな、と思います。そういうことも、これからの子どもたちに切実に願っています。

南:式の辻先生のご挨拶の中で、「今は、図工専科一人一人の教室に図工教育がある」とありましたが、4人の先生方のお話の中に、先生と子どもとのかかわりへの示唆を感じることができたと思います。
いよいよ終盤に向かいます。これからの図工教育、都図研の展望についてお話いただきたいのですが、その前に、記念誌「都図研スピリッツ」の中で「都図研研究局」の研究の流れを横内先生が分析されています。会場から代表して、ご発言いただきたいのですが。
研究局が都図研に位置づけられ14年がたちます。これを読むと、変わることなく問い続けていること、また、社会や時代の変革とともに切り口を変え活動し続けている側面を感じることができます。奥村先生は「生態系としての都図研」という提言もされていますが。客観的に分析され、ここに通底されていることなど、横内先生が感じられていることをお話ください。  

横内:今日の記念誌の中に、都図研研究局を通して都図研の研究について考察してみました。ぜひご一読いただいて、都図研の研究がどのように歩んで来たのかをかいつまんでみていただければと思います。これからの展望ということに絡めて、お話をさせて頂きます。
私たちは造形教育に関わる者ですので、この喩えはわかりやすいと思うのですが、皆さん手に絵巻物を持っているとお考え下さい。私たちは、目の前に現れる絵を楽しんでいます。それを右手に送っていきます。巻かれて行く右手には過去。左手には未来があります。そして、目の前には「今、ここ」が現れます。
そこに、都図研がいつも見ていたのは「子ども」です。周囲の絵柄が変わっても、描かれている子どもを見続けて来たことを私たちは,誇ってもいいのではないでしょうか。
都図研に研究局が生まれて以来、その底流に流れているものがあります。それは、図工教育の本質に関わるものです。奥村先生が都図研のことを「生態系」と述べられていますが、そこには、「子ども」というかけがえのない命というものがあると思うのです。
造形活動を通して、子どもが「私」という本質に気づいていくことが大切だと思います。これからも、そのような時間と場が保証される図工であり、都図研であってほしいと思います。 

南:横内先生ありがとうございました。では、最後の設問に移ります。

設問4

最後に、これからの図工教育、都図研の活動を展望し、一言ずつお願いいたします。

岡田:身近なところからお話しします。研究局では、「子どもは」と「主語をつけて話そう」と決めました。まず「子どもは何をしていたか」、「何をしたいのか」と考えると見えてくるものがあると思います。そして、実際に「何をしていたのか」を見ることが大切だと思います。
特別なすごい題材を開発していかなくても、ちょっと視点を変えて、子どもに寄り添い、子ども側の視点で見直してみることでよい題材になっていくと思います。それと同時に、図工って、子どもって、と直接授業に結びかないような問いをもちながら考えていくことが、充実した図工の時間をつくることにつながっていくと思います。これからも、みんなで考えていきたいと思います。

奥村:「生態系」と書いたのは私なんですが、今日の授業は3度目。落合第六小学校の子どもたちとの授業は2度目なんです。授業も生態系だし、我々も生態系。
昔の人は、イノシシはイノシシだけで生きていると思っていた。生き物はいろいろな関係の中で初めて成り立っていくということです。一般の人がそういう考えをもったのは、ここ20年くらいです。いろいろな組織とか団体とか、社会とか、そのときの関わりで成り立っている。ということは、「たったひとつが、たった一人が大切なんだ」ということなのです。私はそう考えています。

鈴石:「若い人」。都図研に何を展望するか、若い人しかないですね。明日からCCAAで「日中の児童
画展」をやるんですが、そのカタログの自分のスナップ写真を客観的に見たら、僕は「老人」だ
ったんです。それに気づいてしまった。この世界を変えたりするのは若い人しかいない。貪欲に
先輩たちの作品をまねしたり、貪欲に子どもたちと関わったりしてほしい。若い人は子どもと番
近いのだから。僕が大学を出た頃、子どもは、僕をなめきってました。でも、僕の敬愛する野々
目圭三先生がご活躍した時代は、なんと20代なんです。若い人がエネルギーを集めて、「創美」
という運動をはじめたんです。じいちゃんを乗り越えてくれるとありがたいと思います。

辻:昨日、前日準備をしていて、若い先生方が集まって、わーっと準備をしてくださった。教員の
世界も若い先生方が半分くらいになっているのではないかと思います。昨日の若い先生方の様子
をみて、大きな希望がもてると思いました。
それから、よく「あの人は都図研の人」と言われますが、あなたも都図研の人です。奥村先生
の生態系の言葉もあるのですが、「セクト」ではなくて、「ネットワーク」をもって、これからは活動していくことが大切だと思います。
50周年のときは、僕が理事長で鈴石先生が会長でした。その時は平成9年で、実は平成10年
が指導要領の改訂で「時間数を減らさないでくれ」と文科省に「要望書」を出したんです。けれども、平成10年から「時間数」は削減されました。これからは、たんに要望書を文科省に出すだけではなく、むしろ、今日のように奥村先生をお呼びするなど、いろいろな方と連携して、図工の大切さを社会全体に認めてもらえるように活動していかないといけないと思います。
それから、これは「お餅の絵」(カードに○を描いて見せながら)なんです。
図工は「絵に描いた餅」だから、「お腹を満たさない」という考え方がありますね。「現実」と
「虚構」という考え方です。「絵に描いた餅は、虚構だから役に立たない」と。一般的にはこんな風な考えが、主流ではないかと思います。
けれども、なんかこの言い方に対して言い返せないかな、と思っていたんですが、道元の書い
た本を読んでいたら、「この絵が、絵に描いた餅ならば、世界はすべて絵に描いた餅だ」という言葉が出てきた。「なるほど」とその時思ったのでした。「現実」と「虚構」で世界を区別しない考え方です。人間は「表象する能力」をもっているからこそ人間なのだと。役に立つとか立たないとかではなくて、表象作用のひとつであり、生きていく、人間の力がそこにあるのだと思うのです。図工はそうした生きていく上での根源的な力につながっているものなのです。自信をもって図工教育を推進していこうと思います。そのためにも、各方面の方々と連携し、これからもみんなでがんばっていきたいと思います。今日はありがとうごいざいました。

南:今日の公開授業、そして、シンポジウムのテーマは「過去から現在へ、そして未来への予感」
でした。これまでのお話や授業から、みなさんはどのような展望や方向性が見えましたでしょう
か。ぜひこれからの授業に生かして頂ければと思います。
もう一度、4人のパネラーの先生方に拍手をお願いします。ありがとうございました。

(以上でシンポジウム終了  80分間) 

レセプションの申し込み

 会場予約の関係で申し訳ございませんが、レセプションにご参加いただける方は1月9日までに下記の連絡先まで、FAXか都内教員の方は交換便で出欠をお知らせください。1月14日以降のキャンセルは欠席の場合も会費を集めさせていただきますのでご了承ください。

連絡先
東京都図画工作研究会事務局直通 
FAX 03-3950-4717
〒161-0031 
新宿区西落合4−11−21 
新宿区立落合第六小学校 
事務局 本間 基史

公開授業・
パネルディスカッション 

2009年1月23日(金) 

13:35~17:00 

新宿区立落合第六小学校 

〒161-0031
新宿区西落合4-11-214
TEL 03-3950-4717(都図研事務局直通) 

最寄り駅

大江戸線落合南長崎駅

  • 徒歩15分 

西武池袋線東長崎駅

  • 徒歩10分 

※ 参加費無料 

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レセプション 

2009年1月23日(金)

18:30~20:30 

ハイアットリージェンシー東京 

新宿区西新宿2-7-2 

最寄り駅

大江戸線都庁前駅駅前 

会費 

10,000円 
( 当日 、 会場にて集めさせていただきます) 
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